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153 車のトラブルあれこれ
先週土曜、マーケットから自宅に戻った直後、ガレージの前で車の異変に気が付いた。「シュー」と大きな音がして何か漏れているようである。ガレージに入れエンジンを切ってもその音は止まらなかった。ボンネットを開けエンジンを見たが異常は見られない。エアコンを掛けて走って来たから、もしかしたら、そのガスが抜け出したのかも知れない。とにかくエンジンの周囲が熱くて触れないので明日の朝、点検することにした。
朝、ラジエーターのキャップを開けると、ほとんど水が入っていなかった。水をたっぷり入れエンジンをかけた五分後、ラジエーター左上部の冷却パイプより噴水のように水が噴出した。今日は日曜日、マーケット日である。急いで自転車に空気を入れ走る準備をした。明日の月曜はクリスマスイヴ、その後は長いクリスマスホリディへと続く、最悪の時期に車が故障したものである。
思えば1981年2月、アメリカはデスバレー(死の谷)での出来事であった。車はカナダのバンクーバーでアパート近くの修理屋から、800カナダドルで買った。フォードのピント、2ドアーのスポーツタイプでボディは真紅だった。後で知ったが、この形式の車は設計上の理由で、「追突されると燃料タンクが炎上する」と言われ、そんな物騒な事故がアメリカで頻繁に起きていたと聞かされた。
しばらく乗って、ラジエーターから水が漏れているのがわかったが、水漏れ防止剤の添加により完全に止まっていた。常に水量の点検をしながらも、カナダのバンクーバーからアメリカ、ロスアンジェルス、さらに南下してサンディエゴの西海岸約3000キロメートルの旅を無事走り抜けてきたのであった。
ロスでの研修会が終了した後、グランドキャニオンが見たくて再度この車で旅立った。ロスの北東400キロにカジノで有名なラスベガスがあり、この町を基点にすることにした。その西、約200キロにデスバレー国立公園が広がり、一日の観光コースとなっている。先ずラスベガスから州道で北西へ行き、そこから南下して縦断することにした。なだらかな下りの坂道が延々と続いていた。そのドライブ、「行きは良いよい、帰りは怖い」の始まりなのだった。
デスバレーは海抜下85メートル、世界では第3位の低さである。年間降水量はわずか50ミリ、真夏は摂氏57度にもなった年があり、冬だけの観光コースとなっている。1849年、カリフォルニアに向けてのゴールドラッシュのさなか、金を求めて探検隊が近道をしようとして、この谷に入り込んでしまった。酷暑と水不足で数人が死亡、生き残った人が、この地を離れる時、「グッバイ、デスバレー」と言った。ここから、このデスバレーの名がついたそうである。
今から27年前の話しで、当時無料の小さなミュージアムがあって恐竜の骨が展示されていた。あとは荒涼たる岩石塩の砂漠で見るものは何一つなく、早々にその谷から離れた。ここまでの道路は延々と続く下り坂、ここからは果てしなく続く上り坂となっていた。そしてもうすっかりラジエーターの水漏れは忘れていたのであった。30分ほど走ると突然車のパワーが出なくなった。路肩に停車してボンネットを開けると、ラジエーターの上部から蒸気が噴出していた。付近を見渡すと砂漠地帯は通り過ぎたものの限りなく草原が広がり、人家らしきは全く見当たらなかった。私の行こうとする方角から一台のトラックがやってきた。「どうした?」「実はラジエーターが·····」と言うと、10キロ先にガラージ(修理工場)があるから、そこへ行けばなんとかなる」といって飲料水を入れたボトル一本をタダでくれた。デスバレーに行こうとする人たち、水のボトルは常備品だったのである。それに困った時に助け合うのも、この広いアメリカでは常識で、こちらから声を掛けずとも、わざわざ車を留め聞いてくれたのだった。
エンジンの冷めるのを待って、ラジエーターに水を補給した。それから10キロの道のりを徐行させた。途中対向車とは一台も出会わなかった。ガラージはすぐに分かった。道路が三方に交差し、人家らしきも多少あり、シャッターが開けられ、中の様子からそれとなく分かったのである。声をかけるとおばさんが出てきた。理由を言うと、「残念ながら、主人は外出中で何時帰るか分からない」という。「ではソルダリングアイアン(ハンダゴテ)を貸して欲しい、自分でやるから」と言ったら、気持ちよく貸してくれた。半田付けは30分で終わった。水漏れは完全に止まった。ラジエーター上部だったので、本体を取り外すこともなく簡単に修理が出来たのだった。
おばさんに10ドルのお礼を渡し、水を補給して再び車に乗り込んだ。なだらかだが登り坂は延々と続いている。遅れを取り戻そうとアクセルを踏み60キロのスピードを出した。その時であった。ボンネットから白煙が立ちのぼった。ボンネットを開けると水蒸気と共にオイルが沸騰、噴出していた。ラジエーターの亀裂は三倍に広がっていた。こうなったら他車を待ってはいられない。近くに農家を見つけ駆け込んだ。オイルと水をわけてもらい補給をした。今度は時速15キロの走行となった。それ以上スピードを出すと水が噴出した。ラジエーターのキャップを外したまま、20キロごとに水の確認と補給をしながらのドライブであった。あたりは暗くなり始めた。対向車も背後車も来なかったから、のろのろ運転でも問題はなかったが、長い、長いラスベガスへの道となった。
遥か彼方、山の向こうにぼんやりと明かりが見え始めた。ラスベガスである。「助かった、もう大丈夫、ほっと胸を撫で下ろした」途中ガソリンスタンド兼修理工場を見つけ飛び込んだ。そして修理を依頼したが手の施しようがないと断られた。市内でのモーテル探し、見つけることは簡単だった。やるべき仕事はすべて夜が明けてからとなった。
ラジエーターの取替え料金は部品込みで500USドルだと言う。もちろん再生部品を使っての話である。800カナダドルで買った車に修理代がこの値段であった。カナダドルは当時かなり安かったから、ほぼ同じ価値となった。廃車にしても良かったのだが、手数料もいるし、荷物もあったので取替えを頼んだ。修理は一日中かかりそうなので、グランドキャニオン観光は飛行機での遊覧ツアーに切り替え、チケットを手に入れた。
ところで、今の話で、私の車だが、クリルマスイヴの朝早く電話すると、27日の朝なら大丈夫となった。その日、RACQ(日本のJAAと同じ)に牽引車を頼んだ。目的の場所までは6キロで、10キロまでは無料とのことであった。でも徹底的にその目的とか両方の住所等を聞かれた。一時間後、車本体を積み込む大きなトラックがやってきた。ドライバーは、背の低いまるまると太った男性で、まるで漫画に出てきそうなキャラのオーストラリア人であった。
その日の昼すぎに電話があり、車を取りに行った。ここはラジエーター専門の小さな町工場、感じの良いきれいな奥さんがいつも事務所に座っていた。私はここに修理を頼むのは三度目であった。旦那は、私より少し若いが町工場の親父タイプ、ガラガラの人柄、せっかち、早とちりで間違いが多そうである。前回、奥さんへ支払いを済ましたにも拘らず、旦那から再請求されたりした。どうも奥さんと旨くコミュニケーションが取れていないようである。
今回、彼は現金を要求したので、そのようにしたら、領収書もくれなかった。「まあいい、まだクリスマスホリディ期間中である。硬いこと言いっこなし、わずか80ドルのことである」しかし、こんなに安く、一体どんな修理をしたのだろう。本体を外した形跡は全く見られない、添加剤では穴が大き過ぎた。しかし水漏れは完全に止まっているのである。彼に聞いても何も答えなかった。

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152 豪州必殺仕事仕掛け人
先々週、自宅のガレージで、いつものようにオーディオ機器の修理をしていると身長190センチに近い大柄の男が入って来た。両足の太腿から上にかけて大きな刺青をしている。お世辞にも、まともな人間とは思えない風体だった。
「ドライブウエイ(道路からガレージに通じる車道)を洗う仕事をやっているが、それを80ドルで、玄関までの通路とそれに車庫前レンガ塀の洗浄を合わすと130ドルにする(但し現金で)がどうか?」と、たずねて来たのだ。
私の家は築30年になる。新築から3年後に買った。当時(1981年後半)オーストラリアドルは固定相場制(360円)から変動相場制に変わってまもなくで、次第に豪ドルの価値が下がりつつあったが、それでも一ドルが260円もした。この家は8万7千ドルで売り出していたのを千ドル値引きしてもらい買った。日本金に換算すると2236万円となった。当時、永住直後で、この家の値段は高いのか安いのか分からなかったが買ったのだ。しかもドーナツショップの権利を買った後だったので、お金が足らなくなり、その不足分を銀行から借りることにした。この国では海外から間もない移住者であっても、銀行から簡単に、お金の借り入れが出来たのだった。
689ヘーベの土地に3ベッドルーム、キッチンとダイニングルーム、少し広めのリビングルームにトイレが二つ、それと車二台分の車庫が付き平屋であった。日本に比べれば広い感じだが、昨今裏通りのウォーターフロント(裏庭がボート係留可の水路に面した)の敷地に数々の豪邸が建ち並ぶようになったので、一般家屋としても下クラスであろう。プールが付いていないし、ガーデンもそう広くないので維持費はほとんどかからない。芝刈りは季節によって違うが、平均すると二ヶ月に一度程度、もちろん自分でやる。雑草ボウボウのガーデンだけは嫌なので、何時も庭に出て雑草取りをする。これは又、自分の持病対策でもあり、運動量を増やすことを目的としている。ゴールドコーストの快適な気候の中、夏など上半身裸でやると非常に気持ちが良い。単純作業ではあるが、FM放送で音楽を聴きながらの作業で退屈することはない。
家屋は築30年ともなると、あちこちにガタがくるのが普通である。だがこの家はコンディションの良い方で、20年近く前に屋根瓦を洗浄、そしてペンキを吹き付けリノベイションした。建物外壁ブリック(レンガ造り)にも目だった亀裂は見られないが、ドライブウエイが砂と埃、排気ガス等で非常に汚れていた。その汚なさに見るに見かね声を掛けてきたようでもある。小石まじりのコンクリート製だが、将来打ち壊してタイルでも敷こうかなと思っていた矢先だった。しかし大仕事となるため、工事費が高く付きそうであった。
「ところでどれくらい白くなるのか?」と聞くと「この程度だ」と言って白い部分を指さした。「水洗いするだけでこのように白くなるのか?」というと、「いやケミカル(薬品)を使う」と答えた。「この近辺で作業をしたことがあるのか?一度その結果を見たいから」というと、二箇所ほど場所を言った。「とにかく二、三日考えさせてくれ、決まったらこのビジネスカードの番号に電話をするから」と言ったら、帰っていった。
数日後、玄関のドアーに同じ名刺が挟んであった。「電話しなかったので又やって来たな」と思った。それから二日後、何時ものようにガレージで仕事をしていると彼が入ってきた。そして「どうするのか?」と聞くから「来週ではどうか」と言うと、「今からでもやれる」という。私は彼が余程仕事をしたいのだと思い、「それならやってくれ、水道の水はあまり使いたくないのだが」と言ったら、「分かった」と答えた。普通工事関係者は作業用に改装したバン型式の車に乗っている。彼は前と同じ古く小さな乗用車で来ていた。そして良く見ると、助手席にもう一人乗っていた。以前にも車に誰か乗っていたが、同一人物だったかどうか定かではない。
彼は車から道具類を取り出し始めた。洗浄作業用ツールはそんなに大掛かりで多くはない、後部トランクで充分収納ができたのである。噴霧器を背負い、通路とドライブウエイに液をかけ始めた。ケミカルを使うと言ったのはブリーチのことだった。その匂いのきつく臭いこと、玄関のドアーを完全に締め切り、家に侵入してくるのを防いだ。
しばらくすると、そのドアーを大きく叩く音がするので、ガレージまで出て行った。そうすると車に乗っていたもう一人がモービルホーンを片手に電話をしながら、「お願いがあるのですが」という。「なにか」と聞くと、「タクシー会社に電話をかけているがビジー(忙しい)で出てこない、カジノまで行きたいのだが」と言いながら、手で私の車を指す。私は彼が何を言おうとしているのかさっぱり分からず困っていたが、暫くしてようやく理解出来た。タクシー会社と連絡が取れない、それで私の車でカジノまで送って欲しいとのことだった。車道で噴霧器械を車に積み込んでいる彼が、私に何か言おうと合図を送っている、しかしそれが何であるかは分からない。
「彼に送って貰ったら、コンクリートの洗浄作業は急がないから、とにかく私は客なのですよ、客にものを頼むというのはどうかなあ」と言うと、「もういい」といって私から離れて行った。二人とも50歳を過ぎた男である。生活上、或いは仕事上で、最も大切なモラルとか一般常識はどうなっているのかと首を傾げた。マナーとか常識はたいてい子供の頃に親が教え、躾して行くのが普通である。昨今、日本でも、それを子供に教えられる品格ある親がいなくなってしまったのではなかろうか。
ブリーチをかけ30分後、水道水を使った高圧水噴射器での洗浄が始まった。彼は身体中刺青をし、決して品のある人物とは見えないが、誠実で仕事熱心な男であった。たっぷり時間を掛け丁寧にドライブウエイを洗っていった。仕事をやりながら私に話かけてきた。「マイト(友人)があんなこと頼んで申し訳ない、彼はちょっと頭がおかしいのだ」と言った。「ここからカジノまでは2キロ、タクシーが来なければ歩けば良い。私は運動のため毎日4キロを歩いている。人間には足、立派な足があるのだ!」と私は足を叩いて見せた。
ドライブウエイと玄関前の歩道は一皮剥いたように白くなった。26年前、家を買った時点に戻ったのである。これでコンクリートを打ち壊し、高額なタイル敷き工事はしなくて済む、130ドルの洗浄でこんなにきれいになるとは思わなかった、随分安く付いたのだ。
この際思い切って、ドライブウエイの上にパティオ(金属性の覆い屋根)を取り付けようと思い見積もりを依頼した。ガレージ内のワークショップが修理品でいっぱいとなり手狭になってきたからで、車を屋外に駐車したいからである。業者は電話したその日の夕方にやって来た。屋根の広さは39へーベでカラーボンド(色付けしたブリキ)製、周囲を豪華に縁取り、トユを付け支柱は4本、これで6930ドルであった。見積もりに来た人に20数年前裏庭に取り付けたパティオを見せた。すると「これは高価なアルミニューム製で、もしこの材料で今施工すれば、この見積もり額の倍の値段がする」と言った。
「ところで市当局への許可は?」と聞くと「私が書類申請を市に出すことにより工事が終わると彼らは点検にやって来る。この工事だと1000ドルはかかるだろう」と言った。「書類の提出にどうして1000ドルも必要なのか。それで家の建て面積が広くなれば、レイツ(市税)も上がるのか?」「そうだ、市当局は、常に市民からお金を取ることを考えている」と言った。それならぼったくりである。
「泣く子と地頭、政府には勝てない」と、先日、石原東京都知事が言った。福田総理から都税収の一部を地方に回すことを頼まれたからである。この国でも「泣く子と地頭、市当局」には決して勝てないように出来ているのである。

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151 豪州は労働党の勝利 2
日本は、インド洋での給油活動「テロ対策特別措置法」の期限が切れ、民主党の継続反対で海上自衛隊の補給船(ときわ)が当地から引き上げてきた。前の参議院選でのねじれ国会が原因である。アメリカ議会でも民主党が優勢となって共和党であるブッシュ大統領のイラク政策が苦境に立たされている。日本でも政治勢力の変化なのでブッシュ政権としては自民党政府への苦情は一切言えない立場となった。
昨今、そのイラクでは治安が回復しつつあり、国外に退避した難民が帰り始めたとのニュースで、ブッシュ大統領としても喜びを隠せない状態だが、後一年と任期が差し迫った今日、終わりに近づくにつれイラク情勢が好転して来たという、何とも皮肉な現象であろうか。
又、イランの核開発に神経を尖らせている米国だが、CIAの調査では4年前からイランでは核開発を中止しているとのことである。なのに、「危険だ、危険だ」と今も叫び続けている。イランとしては傲慢で横暴、モラルに反する米国から国を守るために核開発を進めている。米国が世界の治安頭を名乗りたいなら、それに値する王道の実践、範を垂れるのが先決であろう。「自国は核を持つ、しかし他国は持ってはならない」と、こんな勝手な言い分、この世では通用しない。「自国は持たない。だから他国も駄目」なら話が分かるのである。
IAEA(国際原子力委員会)の査察なんて米国の手中にある、どうにでもなる機関である。とにかく9、11同時多発テロ以降、ブッシュ大統領を始め米国市民までもが狂ったように違った方向に突き進んでいる。物作りにより喜びのある経済社会ではなく、ファンド投資による利益追求型、敵対的ハゲタカのっとり商法なるビジネス形態を生み出した米国、これが昨今世界各国、特にイスラム教社会圏への摩擦を生み出す原因ともなり、テロ発生の元凶となった。サブプライムローン(低所得者向き住宅ローン)の焦げ付き問題で今アメリカは苦境に立たされているが、ギャンブルと紙一重の金融投資による営利ビジネスへの天からのシッペ返しかも知れない。

自衛隊によるインド洋での給油活動については、駐日米大使シーファー氏

{今年5月、米議会での従軍慰安婦への謝罪決議案で彼は元日本軍の強制はあったと主張し、事実を確かめもせず賛成派と受け取れる発言をし、日本に住みながら反日行為だと強く非難されている彼である。又、決議案は米下院議会でわずか10人の居残り議員によって可決(7月30日)されたが、最近ではオランダ下院議会で可決(11月8日)、続いてカナダ下院議会で可決(11月28日)、欧州議会も公聴会を開催、これを受け決議案を採択(12月13日頃)する動きが活発化している。それに私の住むオーストラリア議会でも採決されるのは時間の問題となっている。
日本の売国奴政治家たちによる諸々の発言が、世界中にその波紋を広げつつあり、将来日本を辱め苦しめるだろう。中国、韓国、北朝鮮、イスラエルの反日ロビー活動家が発起人だと言うが、元を正せば、吉田某による朝日新聞の強制従軍慰安婦捏造記事が発端で、この問題は今や全世界を駆け巡り出した。米下院議会決議前に訪米した安部首相のこの件に関する非常に曖昧な発言も尾を引いているが、何よりも宮沢内閣時、官房長官だった河野洋平氏の談話が問題であり、続いて村山内閣当時の近隣諸国に対する政治姿勢も元凶となっている。
南京大量虐殺事件、沖縄集団自決事件等も全く同様のケースで、すべて朝日新聞による過大捏造記事が発端である。今月(12月13日〕南京事件は70周年を迎え、中国当局により旧日本軍による残酷な数々の殺害シーンの映画が製作され、上映されようとしている。今後世界的に大問題となりそうである。60数年前の出来事、しかも終戦後の国際裁判での解決済み事件を穿り出して、日本人へ自虐思想の植え込みと、国民の心の荒廃と自滅をもくろむ、中国共産党の正当性とその維持と安泰を目的とし、平和の名を借りた日本の左翼団体が一生懸命になって中国当局をサポートしているのが現状である}

は民主党本部まで出向き、小沢党首と会談したが受け入れられなかった。そして今度はアメリカ追従国である他の国の大使5人に呼びかけ、雁首揃えて記者会見をしてインド洋での補給活動の重要性をアピールした。又国連でも拘束力はないが「重要法案」として議決されたにも拘わらず民主党及び他の野党から反対され続けている。アメリカ従属一辺倒の自民党としては悔しさ一杯だろうが、しかし私は、この時期、このテロ特措法に付いてもう一度、思案をしてみる良い機会だと考えるのである。
「日本は中東からすべて原油を調達している。インド洋は日本のタンカーの航路となっていて、その安全のため、当地に於けるテロ防止対策が日本にとっては非常に重要で活動を続けたい」と言うのが理由である。本当にそうかどうか試してみる絶好のチャンスだと思われるのである。
この給油活動はアメリカ側に莫大な利益をもたらしていると言う。艦船用燃料は一般船舶用と違い特別に精製された燃料が必要で、通常油の倍の値段がするそうである。それをドル建て買う、しかもアメリカの石油会社から調達し、他国艦船、或いはイラク戦争への艦船にも給油していたというから、納得が出来る。その費用のすべては日本国民から徴収した税金で賄われている。「国民の中には倒産のあおりで仕事をなくした人、お金に困っている低所得者、生活困窮者の高齢者がたくさんいる」と言うのに、である。政治家のエゴと見栄、外面ばかりを気にする日本人特有の性が滲み出ている。世界第二位の経済大国となっても内面の充実、国内を第一とする思考は全く見られない。
オーストラリア新首相のケビン ラッド氏は中国語がたんのうだと言う。外交官時代、中国で故錦涛国家主席との会談では通訳なし、すべて中国語だったそうで、日本の各社新聞報道では「ジョン ハワード前首相は非常に親日派だったが、ラッド新首相は日本よりも中国寄りになると危惧される」と書かれていた。
その国の言語をマスターするには国の歴史、文化、生活習慣、癖欠点に至るまで勉強することが必要となってくる。だが外国人で言葉がたんのうだからと言って性格まで同じになるということはありえない。中国政府国務委員の唐家璇氏、王毅中国大使のように日本語がたんのうだからと言って決して親日家ではないのと同じである。むしろ日本の内情をすべて知り尽くしているから、要注意として警戒すべき人物なのである。
「笑顔満面で応対して来る人間に悪者が多い、要注意である」と私の店に来るイタリア系常連客の一人が言っていたが、ヨーロッパでもそう思っている人がたくさんいるようである。小泉政権当時、彼と会談した中国要人の面々は靖国参拝問題で苦虫を噛みつぶしたような表情をしていた。ところが安部政権、福田政権と続くにつれ当局要人の面々は満面の笑顔を称えるようになった。しかし裏では中国国内での反日運動、アメリカ、他国での抗日ロビー活動を活発に行っていたり、日本近海でのガス田開発、それで日本側も調査船を出すと言えば、威嚇のためにか、「軍艦を出す」と脅かしてみたりと危険極まりない一党独裁の国、それが今の中国共産党政府である。
世界の工場であると持て囃され久しいが、食品から工業製品に至るまで、その安さから全世界を制覇してしまった。ところが毒食品、有害薬品、鉛含有おもちゃに留まらず、同時に環境汚染をも地球にばら撒いているのである。これら環境問題では改善の意思すら示さない中国政府である。世界中が揃って中国の尻拭いの為、そのサポートをしなければならない羽目となってきた。安い中国製品を買い、使い続けたツケが世界の人々に回ってきたのである。

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150 豪州は労働党の勝利 1
先々週のオーストラリア連邦選挙では労働党が圧勝した。長期政権を維持していたリベラル党、ナショナル党の連立政権で前首相、ジョン ハワード氏は国民から「総スカン」を食ったというか、「飽きられた」というか、選挙区でも落選するハプニングとなってしまった。彼と同地区から出馬したABCテレビ放送で政治、時事問題のコメンテーター、キャスターをしていた女性、マキシム マキュー氏〔労働党〕と対峙し負けてしまったのである。又、「次回は私を首相にせよ」と叫んでいた前トレジャー(前財務大臣)のピーター コステロ氏も落選してしまった。
4年前の選挙の時も同じく、飽きられていた彼だったのだが、当時の野党党首がマスコミに対する横暴ぶり(取材班に殴り掛かっているビデオが放映された)から、危険人物と見なされ、仕方なくジョン ハワード氏が再選されたのだった。彼は小泉前首相と同じく、アメリカ従属一辺倒で、ブッシュ米大統領には非常に従順、世間ではブッシュのラップドッグ(膝の上の子犬)と言われていた。1500名のオーストラリア軍によるイラクへの出兵はアメリカとの自由貿易協定批准を期待しての行動だったが、ブッシュ大統領からその合意は得られなかった。それなのに苦情の一つも言わず、豪州兵がイラクから撤退もせずと、完全にアメリカ側に巻かれた形で、コケにされた状態だった。それを国民は良く知っていたのである。又、年々旱魃の被害が酷くなるオーストラリアなのに地球温暖化対策の京都議定書にも調印せず、アメリカ、中国、インドと並んで環境問題でワースト国の仲間入りをしていたのであった。そんな彼に国民は嫌気がさしたのである。
オーストラリア国民は一般に政治に無関心な人が多く、政策云々とかの面倒くさいことには一切興味がない。それはどの政党が政権を取っても、たいして変化がないからである。それよりも、もし選挙に行かなかった場合には当局より80ドルの罰金が科せられる。そっちの方が怖いのである。ところで今回、マーケット内で数人に訊ねたら、やはりジョン ハワード氏をサポートしている人はいなかった。彼は「オーストラリア経済が好調なのは、私の政策が良いからだ」と選挙戦で自慢していたが、それは国及び大企業、政治家が喜んでいるだけであり、国民としては、それはどうでも良いことなのである。この国では国民所得の基準額が法律で決められていて、会社が好調でもボーナスが出たり、給料が上がったりはしない。それよりも忙しくなって、仕事量、残業が増えたりして困るのは社員、従業員なのである。
選挙当日、私は何時ものようにマーケットが終了してから投票に行った。投票場所はパシフィックフェアーショッピングセンターの向かい側、市の施設が建ち並ぶ一角にある。市民会館と図書館があり、今まではその近くの成人教育会館が選挙の場所だったが、今回は大掛かりな図書館の建て替え工事中だったので、後部にある狭い市民会館がその投票場となった。
入り口を通過し、立っていた案内嬢に住所を告げると、前方のテーブルを指示された。係員は名簿の一覧表からすぐに私の名前を探し出した。いつも思うが名簿には随分私と同じ苗字のアルファベット名が連なっている。投票が出来るのはオーストラリア市民権の取得者に限るから、私の地区にはまだ会ったこともない市民権を持つ日本人がたくさん住んでいるということである。
小さい用紙一枚と一メートル近くもある長い投票用紙一枚を貰った。小さい方には候補者の名前とパーティ名(政党名)が書かれている。リベラル(自由党)、ナショナル(国民党)、デモクラティック〔民主党〕、グリーン(みどりの党)、インデペンダント(無所属)、レイバー(労働党)、それにフィッシャーマン(魚釣り党)と言う珍しいパーティ名が目に止まった。初めて聞く党名だが一体何を政策として掲げているのか分からない。その他にもまだ聞いたことのない党もあったが良く覚えていない。私は今人気のある新党首、労働党の方の「誰だか?」にチェックを入れた。新党首の地区はブリスベンで、私の地元では他の候補者だったが、彼の名前も知らなかったし、顔写真を見たこともなかった。でも労働党の勝利を願ってチェックを入れたのだった。
以前の選挙は2年前のゴールドコースト市長選挙であった。現職が破れ、オリンピックの選手だったロス クラーク氏が当選し、現在に至っている。現職のバイルドン氏は3期目としての挑戦だったが、シティレイツ(市民税)の値上げを強く打ち出し、地元の新聞で堂々と、それを発表した。彼は一期目の選挙戦ではレイツの値上げをしないことで登場し、当選を果たした人物である。その彼が新聞で値上げの公表をしたのだからたまらない。私も新聞を見たが、値上げ率が書かれていなかったから、市民に余計に不安感を与えてしまったのである。私もこの時、同じように彼に不信を抱き、グリーン党の誰かに投票した。この時、ロス クラーク氏は市政にはズブの素人だったからレイツの一件に付いては何の発言もしなかった。これが彼を当選に結び付けたのであった。
十数年前、私が日本レストランをやっていた頃、バイルドン氏の娘が近くのオフィスで働いていた。彼女は焼肉ドンが好きで、うちのレストランの常連客だった。その彼女が彼を一度だけ私のレストランへ連れてきたのである。写真で見慣れた顔だったので、彼女に確かめると「父だ」と答えた。当時彼は二期目に落選し、浪人中だったのである。そして次の市長選にはみごと返り咲きを果たした。私がオーストラリア市民権を取得したセレモニーの席上、(150名ほど)会館の舞台上で彼からお祝いの言葉と証書を貰った。もちろん彼は、私のレストランへ来た事など忘れているだろうから、確かめもしなかったのだが、それ以来彼にはずっと投票してきた。ところが年々横柄さが目立ち始め、彼のサポートを止めてしまったのである。ちなみに今の市長のロス クラーク氏、官僚や職員の言いなりとなって市民税の値上げに拍車を掛けている。次の市長選ではバイルドン氏が再出馬するそうだが、市民税の値上げストップを公約として持ち出さねばならない状況となってきた。
オーストラリア政府が労働党に替わって、早速イラクから数百人規模での撤退が決まった。又、一昨日は地球温暖化対策の京都議定書にも調印した。ケビン ラッド新首相の選挙公約が始まったのである。ジョン ハワード前首相ではなし得なかった行動で、ブッシュ米大統領としてはどんな気持ちだろうか。今後オーストラリアの対米政策はそんな多くは変わらないとの見方は一般的だが、前首相のように何もかもアメリカ従属形であって欲しくないと言うのが国民の本音である。常にイエスマンだったジョン ハワード氏では、アメリカ側から余計にバカにされるとオーストラリア国民は気付き始めたのである。

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