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120 心の荒廃、市場原理主義経済 |
私は子供の頃、東映の映画が大好きだった。自宅が映画館からそう遠くなかったので、上映前には大型スピーカーから呼び込みの音楽がいつも聞こえてきた。老いた父親にしつこく小遣いをねだると「アホを呼んでいるよ」と言って、しぶしぶお金をくれた。 片岡知恵蔵、市川右太衛門、大友柳太郎、中村錦之助、大川橋蔵、その他東映のスター達がいっぱいいた。片岡知恵蔵の七つの顔を持つ男では名探偵、多良尾伴内が顔を7回も変装し悪漢と対決する。市川右太衛門は旗本退屈男、大友柳太郎は丹下左膳、大川橋蔵は若侍捕り物帳、其々が、おはこのシリーズ物を持っていてたくさん封切りされた。中村錦之助は紅孔雀が有名で城の大屋根で伏見扇太郎との格闘シーンをいまだに思い出す。残念ながら、50年前に活躍した懐かしい時代劇スター達のほとんどは亡くなってしまった。 すべて単純な勧善懲悪のストーリーだった。悪者は必ず滅び、良い者は絶対生き残って、めでたし、めでたしで終わる。しかも最終スクリーンには映倫のマークがくっきりと映し出されていたのである。中に現代物ストーリーで悪者達がうまく犯罪を成功させ、談笑している場面で終わるシーンもあった。この場合、カメラを引いて、だんだんと遠景にしていった。この撮影方は悪者達が近い将来滅びゆく意味のアクションだったと聞かされた。この映倫マーク、最近はほとんど目にすることがなくなった。何時頃から、何故、一体どうしてなくなってしまったのか分からない。 映画は所詮ドラマでたとえ実話を元に製作されていたとしても、面白、可笑しく、誇張演出されている。それが分かっていながら、映画を観終わり、席を立って歩く途中、しばらくの間、主人公にでもなった気分になってしまうものである。いくら学識、経験の豊かな先生方でもそうさせる魅力がある。だから映画は楽しいのである。高倉健の仁侠映画だったら、高倉健の苦みばしった顔、フーテンの寅さんなら、下駄のような顔に細い目の渥美清となって、映画館から出てくるのである。外に出てサンサンと輝く太陽を見、現実の世界へと我にかえるまで続く。大人でそうだから、子供ならもっともっと持続する。ストーリーが脳裏に焼き付き、時々蘇えってきては髣髴とさせる。時には彼等の将来をも決めかねない程の強力なインパクトを与え続けるのである。 前ブログに述べた有害アニメなどを見せると現実とバーチャル世界の区別がつかない子供に成長しても不思議ではない。0.01%そしてその0.01%がもしも同じような場に直面したら、咄嗟に罪を犯さないとも限らないのである。アニメ製作には、寄って集って数十人ものスタッフが手掛けている。しかし誰も子供達に悪影響を及ぼすなどと、気の付く者がいないのか? もしこれがヘロインとかコカインその他の麻薬類を世の中にばらまいていたならば、一体どうなるだろう。その効果は有害アニメも麻薬も同じである。麻薬なら重罪となるからやらない。しかしアニメなら罰せられない、利益の為なら、法律に触れさえしなければ良いとする市場原理主義経済が世界中を制覇し、人の心を汚染し続けている。金さえ儲かれば後のことなど関知しない、どうなろうが知ったことではない。「麻薬なら買って使う方が悪く、有害サイトなら見る者が悪いのだ」との論理、無責任拝金主義、市場原理主義経済が今の世の中である。 これは世界及びアメリカ経済を支配しているユダヤ商法が根底にあるのではないかと思う。アメリカが世界を軍備力で制圧しようとする。イスラエルも又アメリカをバックに資金力、武力による隣国支配を試みるのは、拝金主義者なら誰でも考える一番手っ取り早い方法だと信じているからである。ところがこの武力による支配は一時的に成功したとしても長期間の維持は出来ない。やがて破綻、終焉が必ずやって来る。これは世界の歴史を見ればすぐに理解出来る。武力で勝ち得えた政権は必ず武力によって滅び去っているのである。 昨今、世界中を震撼させているテロ行為、お互い話し合いが決裂した場合、強者を相手に、資金と武力に劣る側として最低の選択肢はテロ行為だけである。世界中が反対したイラク戦争、アメリカ自身保有しながら、大量破壊兵器を探すと言いがかりをつけ、石油の利権欲しさ、自国の武器産業発展の為、それは決してイラク国民への人道の為ではなかったのである。イラク国民もソッポを向き、シーア派、スンニ派の宗教とは呼べないイスラム集団が利権のため内戦となり終始が着かなくなってしまった。戦争仕掛け人であるアメリカが利益の為だったから、その結末も同じ目的のヤカラの戦いとなるのが当然である。アメリカはベトナム戦争で失敗しているが、そんな貴重な経験をしていながら、強欲、貪欲が強すぎ、先が見えなくなってしまったようだ。 マーケットで私のストールの隣に中東からの移住者が店を持っていた。アメリカがイラク戦争を始める前、彼は言った。「ベトナム戦争以上に混迷するだろう」と。まったくその通りになってしまった。
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119 ジャパニーズ症候群 |
昨今、日本のテレビニュースを観ていると、異常としか思えない程、子供達の犯罪が発生している。数年前、長崎の学校で起きたカッターナイフによる女子クラスメイツ首動脈殺傷事件を初め、小学生が幼児をビルの屋上から突き落とした事件とかで世間が大きなショックを受けた。又医師の息子が勉強を強制されたとかで自宅に放火、家族を焼死させた事件、最近では成人となってはいたが、高校生の延長として考えねばならない、渋谷区で起こった歯科医師次男による殺人バラバラ解体事件である。妹を殺しただけでも大変なことなのに、その遺体を、のこぎりと包丁で切断し、ビニール袋に詰めてクロゼットに入れ、さらに使った包丁は血を拭いて台所に戻している。まるで魚を料理したみたいで、どんな精神状態でやったのだろうか、全く想像を絶する狂気沙汰である。 それにいじめによる児童の自殺等、今まで考えも及ばなかった出来事が頻繁に起こっている。昔、教わったが、動物一般、それと人間思春期までは、自ら命を絶つ行為はしないと言われていた。自殺するほど深刻には悩まず、また悩みをいつまでも持続しないのが子供の特質だと考えられていた。ところが昨今では、大人並みに悩み自殺までするようになったのである。 いじめには、言葉によるいじめ、態度によるいじめ、暴力によるいじめ、他にもいろんな種類がある。いじめなんて何時の時代にもあった。学校の生徒間だけでなく大人の世界、60数年前なら軍隊内だって、今ならば会社内だって、組織内だって、家庭内では子供、又は夫婦間のドメスティックバイオランス、これらもいじめの一種である。今、政府がその対策を検討しているというが、いくら良い政策を作り実施しても、いじめは決してなくなるものではない。それは我々が集団生活を営み、競争社会を生き抜くため自然と沸いてくる人間の性みたいなものだからである。逆にこれが励みとなって活力を増して、勉強もし、仕事も頑張れ、それによって人々は日々躍進を続けていくのである。ただそれに打ち勝つパワーがあるか、へなへなと崩れてしまうかがその人の個性なり性格であって、子供の頃からその訓練をし、忍耐力を養うことが必要である。昔の子供達は、弱くても、歯を食いしばって、いじめっ子に立ち向かって行った。そうして大喧嘩の末、二人が一層の信頼関係を築き上げていったのである。 最近「切れる」という言葉をよく耳にする。昔は「彼はきれる」といえば「彼は頭がきれる」ということで頭脳明晰の人を指す良いことだった。何時ごろから危険な状態を意味するようになったのか知らないが、よく聞かないとその判断に迷うことがある。この言葉を簡単に言われるようになったのは、忍耐をなくし、すぐに暴発してしまう人が多くなってきたからであろう。 それはテレビゲームとかインターネットの普及が大きな原因だと思う。有害サイトが多すぎるのに、それを監視し、注意を促す、倫理観、道徳観のある優れた大人が少なくなってきたからである。パソコンを学ぼうともしない無知、無能な大人ばかりで、いまだにインターネットは子供達にとって自由奔放、やりたい放題の世界なのである。有害なのはアダルトサイトだけではないのだ。 先週パソコンで日本のアニメを観た。タイトルは「ひぐらしの鳴くころ」でウエブサイトYOU TUBEより無料で配信されているから何時でも鑑賞できる。1話から26話まであって、各話ごとに3分割され、合計で78もの長編である。1分割が約7分前後あり、全部観るとなると相当長い時間がかかる。私のパソコンは回線速度が遅いので、4日間をかけ、すべて観終わった。 このアニメ、有害サイトの一つとして、子供達には絶対見せてはならない代物である。関西テレビ系で昨年放映されたと書かれているが、時間帯は一体何時頃だったのだろうか? 10年近く前の古いアニメだと聞いているから、すでに観ている子供達もたくさんいることだろう。 「死ね、殺す」とかの言葉が非常に多く、ヤクザがするように、爪を剥ぐ機械まで出てきて、けじめをつけさせるシーン、椅子に座ったまま死んでいる老婆を何度も足で蹴ったり、妹を井戸に突き落として殺す場面もある。ゴミ捨て場で手斧を持ち、歩き回る少女、死体をバラバラにしてビニール袋に詰め、その中の一つが裂け手首を覗かせ、その周りをハエが飛び交う光景とか、想像も出来ない程残酷なシーンが次々と出てくるのである。 アニメに出てくる少女達、どうしようもない程、可愛いくて愛くるしい。声とか言葉使い、仕草にも惚れ惚れする。ここにも小学校低学年の少女が数人登場して来る。ところがこの少女たち「お社さまのタタリ」とかの理由で突然豹変し、殺人をするのである。そのくせ罪の意識を持たなくて、その怖さを一層感じさせる。死んだはずの生徒が再び登場したりしてストーリー自体にも問題はあるが、ただ怖がらせるために作ったとしか言いようがないアニメである。 もしこのアニメを常に活性細胞がいっぱいの脳を持つ児童に観せたなら、人殺しが良いか悪いかの判断すら出来ない人間に育つだろう。エントリーで述べた数々の事件を起こした少年達、このアニメをすでに観ていて、脳裏のどこかから魔の指令が出て、知らぬうちに実行してしまったような気がしてならない。
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118 修理の品物 |
通常オーディオアンプはめったに故障するものではない。オーバーロード(過大な音量アップ)でもしないかぎり、そう簡単に壊れるものではないのである。長期間使って壊れるパーツは決まっていて、音が割れてきたとか、左右、又は片方のチャンネルから音が出なくなった場合などは、最終段に付いているパワートランジスタが原因である。この部分は高温になるのでヒートシンク(アルミ製の格子板)とか高級品等は空冷ファンで冷やしているが、高熱により壊れやすいパーツの一つでもある。古い30年前のアンプだとステンレス製で楕円形(中央が丸い)を使用していて、これは現在製造中止になっているが、インターネットなら手に入る。グーグルで型番をタイプアップし、検索すれば世界中でこの部品を販売している会社が出てきて値段もそう高くない。一般的な三本足で黒いプラスチック製のトランジスタはたいていどこのパーツ屋でも置いているが、マランツやNADのモデルは自社製部品を使用しているので、特約店以外からは手に入りにくい。 最近のCDコンポステレオセットは全体を小型化するため、左右チャネルが一体になった大きくて数十個の脚のあるICを使っている。これは片方のチャネルが駄目になった場合でも、そっくり全部を交換する必要がある。このパーツは安くないし、メーカーからの取り寄せとなる。以前高級なソニー製CDコンポでその部品の値段が300ドルもしたので修理をギブアップしたことがあった。 古い型式のアンプならこのような心配はない、パーツも五ドル以下で手に入る。 モデルにもよるが高価だったものは周波数特性(音質)の幅も広く特に高域がきれいである。どんなステレオセットの仕様書にも周波数特性が最低で40〜50Hz最高が20kHzと表示されている。これは通常、人が耳で聞こえる範囲と言われているが、実際は20kHzの音は我々の耳には聞こえないとのことである。ソニーの役員で聴覚テストの結果35kHzまで聞こえたという蝙蝠のような人もいたが、彼は特殊な耳の持ち主だったようである。 スピーカーの性能にもよるが、どのステレオセットでもかなりの高音域まで再生出来てはいるのだが、はっきりと聞こえてこない、それはゲイン(音の強度)が弱いからである。新製品のコンポステレオは低音域ばかりが際立って、きれいな高域が出てこないのはコスト削減によるものである。 オーストラリアではソニー製品はカルト教団教祖のように崇拝されていて、たとえ低価格の品物であっても好まれている。アンプではヤマハ製品も同じように有名だがナチョラルサウンドと表示したモデルがあって、その意味が理解しにくい。自然界のサウンドは聞こえない音域も含まれており、音響機器では決して再現出来ない程複雑は音である。もしナチョラルサウンドとは人間の耳に聞きやすい音、つまり周波数特性の幅の狭い音域を意味しているならば、それは手を抜く為のいい訳であり、コスト削減の為なのである。 最近古い型のレコードプレイヤーが良く売れている。今でもたくさんのレコード盤を持っている人が多く、機械は古くなって捨ててしまったが、もう一度その中の曲が聴きたくなり、プレイヤーだけを購入に来るのである。硬い金属音のするCDデジタルサウンドにも飽きがきたようで、ソフトサウンドでしかも音質の良いレコード音楽が復活され始めたようである。それにレコード盤をターンテーブルに乗せて、操作に手間をかけることが、音楽を聴いているという実感を一層沸かせるようでもある。大きなレコード盤が回転しながら音を拾ってゆく、その様子を見ながら聞く方が、数倍楽しく音楽を鑑賞出来るのである。 某メーカーでは以前から中国で生産を始めていて、今は値が下がり100ドル程、最近ではソニーも製造(これも最初は300ドルもしたが、今は200ドル)を始めている。これはコンピーターでレコード盤からCDコピーを作るためで、プレアンプが内蔵されていて、直接パソコンに接続出来るようになっている。最近のアンプはフォノの入力端子がなく、インピーダンスを合わせるために、このようなデザインとなってしまった。ボディ全体とパーツは柔らかいプラスチック製で、いつ壊れるかも知れない程の粗悪品、音さえ出れば良いという設計、音質の事など全く考えていないようである。 それに比べ古い製品は立派で頑丈、しかも音が良い。針も注文すれば35ドル前後で作ってくれる。ちなみに私の店ではオーバーホールをし、針付き、ダイレクトドライブ(直モータードライブ)の一流メーカー製、パーフェクトコンディションの品物を100ドル以下で販売している。
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117 商品の仕入れ |
私は毎週土曜日の早朝には必ずガラージセールに行ことにしている。マーケットは土、日曜の8時前にはオープンしないと事務所から苦情が入る。それで急いで見て廻り、その後すぐに店に入って開けるのである。 ガラージセールは通常7時からやっているが、夏になると6時から始めるところもあって、この時期だけは数多く見ることが出来、良い品物、ぼろくち商品なども手に入りやすい。 店はおもにセコンドハンドの品物ばかりを販売しているから、この買い付けは私の仕事の一部でもあり、買う喜びと共に、遠慮なしに他人の家におじゃまをして、その家の生活環境を観察出来る楽しみがあり、レクレーションとしても最適である。 仕入れはこの他にオークションでも手に入れている。しかし落札金額がかなり高いのと11%の手数料がいる。私の場合落札品は電子機器が多いので壊れていたら災難である。オークション前日にテストは出来るが、詳しいチェックをしようとすると係員があまりいい顔をしない。遠慮しながらでは充分なテストは出来ないのである。その点ガラージセールでは気に入ったようになる、それに一般家庭の人はたいてい正直なので壊れていれば言ってくれる。ガラージセールは原則として返品は利かないが、故障なしとして売った場合、壊れていれば返品に来てトラブルとなるから、どうしても真実を言うのである。 中にポーカーフェイスで「テストをしていないから分からない」という人がいる。この場合99%は壊れていると取るべきである。私の場合限られた時間内で見て廻っているから、ほとんどその場でテストはしない。そこで売り手の言葉とか微妙な顔付きで判断をする。まる7年もこの商売をやっていると、その的確さも自然と身に付いてきた。 それに教材だと思って買うから、たとえ修理不能でも研究用として内部のコンポーネントを見ることが出来、技術の向上にもなる。細かく分解してしまえばそのパーツの再利用も可能である。今までそれらを貯めていたら相当量の部品が集まった。このようにして私はあらゆる種類のオーディオ機器の修理が出来るようになった。古い製品でも部品があるから修理が可能で、同時に故障箇所を見つけ出す面白さ、一日中やっていても飽きが来ない。 昨今、新品で格安の中国製品が出回り修理するより買い替えの時代で、中古製品の販売は非常に難しくなった。メイドインチャイナ製は外観のデザインはきわめて良い。でも部品や特に材質が粗悪で保障期間が来ると壊れるように作られている。また交換部品はほとんど手に入らない。要するに修理が出来ないように製造されているのである。私も何度か試みたがパーツを接着剤等で固定しているので外すことすら出来ない、壊れたが最後ゴミ箱へ行くしか方法がないのだ。考えてみれば実に資源の無駄使いだと思うが、それをやっと世間の人々も気付き始め、古くても品質の良い日本製オーディオ機器を探しに来る客が出始めた。私は修理と共にオーバーホール、内部の掃除も徹底的にしているから、たとえば30年前のアンプでも、又10年くらいは使えるようになる。それに古いモデルのオーディオはありふれたパーツを使っているから、手に入りやすく修理も簡単である。日本ではPSE法が出来、このような品物は売れなくなった。新製品なら絶対安全かというとそうとも言い切れない。全体にチャチに出来ているので、PSEマークが付いていたとしても、年数が経つ程、危険度が増すだろう。 昨今流行のCDコンポーネントステレオは小型でたくさんのディスクが挿入出来、操作も簡単だが数年経つとCD部分がすぐに壊れる。これは電子部が繊細なデジタル回路に対して駆動部はおおざっぱなアナログ駆動に出来ているからで、レンズとか小さな可変抵抗のホコリや錆、ギヤーの油切れ、それにゴムベルトのたるみが原因である。顧客からそんな修理品も多く、これらは何の問題もなく修復出来る。でもコントロールユニットのLSIチップが壊れていることもあって、この場合ボード全体を取り替えねばならない。そうすると非常に高く付くので諦めざるを得なくなる。
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