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95 I T科の入学手続き |
[IT (インフォメイションテクノロジー) コースの入学手続き] TAFEカレッジのメインビルディングを入ると、おりしも全コースの受付期間中だったためか、ホールにテーブルが数列並べられ、受付の女性が数人座っていた。私は以前貰っていた学生番号を告げると、手続きは簡単に終了した。 サティフィケイト2インフォメイションテクノロジーの半年コースで15種の課目があった。これはIT科では最も初期のクラスでサティフィケイト3、4、ディプロマとだんだん上級になっていく。 マーケットで仕事を持っているから、今回は無職としての一切の割引はない。期間は半年となっているが、プログラムを見ると、授業は五ヶ月足らずであった。当コースのスタートは2002年7月12日からのオリエンテーションから始まる。 1996年に受講した電気科のクラスでは、一年間のコースで総額は534豪ドル、これには鉛筆入りの筆箱ケースにノートブック、ツナギの作業服に安全靴、すべて新品が支給された。当時は国が研修生全員に随分大きな負担をしていたようだ。私の場合、無収入だったので、さらに値引きされ、実際に支払ったのは155ドルだった。 あれから6年、このITコースは半年だし、インフレ率を高く加算しても、せいぜい600ドル前後が相場であろうに、授業料は937ドルだった。次ぎのステップ、同半年上級コースは1302ドルと極端に高くなっていた。 コンピューター教室には高額の設備費もいるし、教官のウエイジズ(受給)も高いと聞いている。でも、他のコースと比べて、少し高いような気がする。 以前はパソコンのサービスとか修理代も高かったので、授業料が高いのも当然であった。でも2000年頃からパソコンの普及率が頭打ちとなって、極安のパソコンが専門店に出回り始め、アップグレードサービスや修理も少なくなり、ウイルス対策のみが仕事となった。いわゆるITバブルの崩壊である。 あちこちのパソコン販売店では活気がなくなり、閉める店も出てきた。もう花形でなくなってきたのだ。世の中がどんどん変わっているのに、その変化に対応していかないのが教育現場、気付いていても簡単に転換が出来ないのであろう。 私の知り合いのパソコン店も同じで、新品パソコンの販売が非常に落ち込んでいる。彼はある大きなグループのサービス全般をやっているから、かろうじて維持はしているが、今後どうなっていくか分からない。 先日、彼が私の店に来たので、「安い新品パソコン(約1000ドル)を売ったら、いくら位儲かるのか?」と聴いてみた。はっきりと答えないので、「3百ドル位か?」と質すと、「それ以下かな」と言った。それ位の儲けでは良いビジネスとはならない。 一昔前まではパソコンを買うとなれば、4〜5000ドルもした。この時は一つ機械を売ってもプロフィット(儲け)は非常に大きかった。又故障もたびたびおこり、そのサービス料は高いものと思っていたのである。 私はTAFEカレッジで、始めてパソコンを習ったのは1996年だった。OSソフトはウインドウズ95が使われていた。パソコンが普及し始めた頃で、私は過去ブログでも述べたように、当時の教官は教室内のパソコン(約25台)の設備費は総額一ミリオンドルであると厳かに云っていたのを思い出す。 あれから10年、インターネットを毎日やっている人には、パソコンは切っても切れない生活必需品となってしまった。もしコンピューターが作動しなかったら、それは大変な事態なのである。でも使わない人には全く関係ない、そんな人がオーストラリアに非常に多いのである。私の店へ来るオーディオ好きのお客さんに、インターネットの面白さをいくら話しても、まったく受け入れない。彼らをその気にさせる、何らかの方法、対策を考え、頭打ちの打開をしなければならない。
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94 マーケットでのビジネス 2 |
このマーケットのパビリオン(大きな建物)の中に車が通れるメイン通りが二つあり、そこに面した店はどこも繁盛していることは前にも述べた。二つのメイン通りに挟まれ、それを結ぶ狭い通りにあるのが私の店で、当初、場所はそう悪くない、人通りも十分あると思っていた。 でもじっくり観察すると、かなり違いがあることが分かってきた。魚釣りをする場合も同じで、魚のいない場所でいくらガンバっても無駄である。魚の数が多ければ多いほど、釣れる確率が高くなるのである。 以前私は、「マーケットでは食べ物商売が良い。レストランでオージー(オーストラリア人)に人気のあった焼肉ドンなんかを売ったら、長い行列が出来るのではないか?」と思った。 しかし、一般のレストランと同様、マーケットでも、その設備とフッドハイジーンの許可が必要で、空いた場所ならどこでもオープン出来るというものではない。すでに設備のあるレストランを買う以外に方法がなく、それは決して安くない。食べ物商売の店はかなり大規模で、ビジネスを売るごとに雪ダルマのように値が上がって、元オーナー達は大金を手にしているのである。 この店を、メイン通りに移動すれば良いのはわかる。でも、場所を確保するための資金、それにその通りには、今のところ売りに出されているストールは見あたらない。では、いかにして、資金を使わずに、この店を活性化させるか、これ以外に方法がないのである。 「地元客相手に電子機器の修理はどうか?」安くすれば必ず注文が取れるはずである。一般の修理屋へ壊れた品物を持っていくと非常に高く取られる。たとえば、今はDVDばかりとなって、VCR(ビデオ)など使用しなくなり、その修理も頼まなくなってしまった。でもちょっと前までは、頻繁に修理されていたのである。 この修理費だが、一般のサービスショップで故障箇所を見つけるだけ、要するに見積もりが30ドルで、レイバー(作業賃)の最低料金が80ドル、プラス部品代、たとえば、簡単なフューズの取替えだけでも80ドル以上となるのだ。もし修理を止めた場合は、見積もり料30ドルは支払わねばならない。忙しい店では、点検もせずに、見積もり額を高く言って諦めさせ、チャッカリ30ドルを取り込む店もあるそうだ。 電気器具を修理するには電気工事士のライセンスがいる。これは前にも述べた。ところで小型電気器具の新品はオーディオ製品に比べて、比較的安く手に入るから、高価なホワイトグッズ以外、ほとんど修理されなくなってしまった。 大きな組織を持った店では、中国から直接、船済み用コンテナ単位で仕入れる。コンテナ単位で買うと一つあたりの製品のコストは極端に安くなり、故障品は修理ではなく交換するのである。製造元は一箇所の工場で、同じ種類の製品に数箇所のブランド名やマークを付けて生産しているらしく、時々、ブランドが違うのに、全く同じモデルの品物を見ることがある。又、工場では24時間交代制でフル生産していると言うから、いまや世界中に品物があふれ出している。 弱電であるオーディオ機器の修理には、ライセンスはいらない。パワーサプライ(電源部)の部分だけが重要で、私はこの課目はTAFEカレッジで勉強し、すでにパスしている。 「コンピューターの修理はどうか?」何といっても、昨今では花形の職業である。カッコ良くも聞こえるし、面白そうだ。しかし再度TAFEカレッジに入学し、一から勉強する必要がある。 以前のブログで「コンピューター関連の仕事などしない」と言ったが、どうもそうはいかなくなってきた。早速入学の手続きにTAFEへ行くことにした。
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93 マーケットでのビジネス 1 |
[マーケットでのビジネス] マーケットでセカンドハンド商品の販売を始めて一年以上が過ぎた。徐々に売り上げは伸びてはきたが、いまひとつだ。「週二日の営業で多くを求めるのは無理がある」とは思うが、かなり想定外の結果である。 通常、中古品の販売は利益率が高い。私の場合は特に壊れた品物を選んで仕入れるから利益はもっと大きくなる。マーケットは土、日のみだから、平日は修理とか、徹底的に掃除をし、ピカピカになるまで磨いて店に持って来る。 「この品物ならいくらで売れるだろうか?」と、想像しながら作業をする。それが楽しくて、楽しくて仕方がない。 昔から、「好きな職業で事業を成り立たせるのは非常に難しい」と云われる。この商売は各製品を実際に使用してテクニックを吸収出来るし、販売面でも非常に面白く、私はこの職業が好きである。ところで、儲けは品物が売れての話であって、いろんな種類の商品を置いても、そう簡単に売れるものではない。 昨今、新品で中国製の安い製品が市場に出回っている。保障期限が過ぎると壊れるように設計されていて、それ以上使用出来ればラッキーである。それにほとんどの製品は部品が手に入らず、壊れたが最後、ゴミ箱行きとなる。 筋向かいにある時計屋の奥さん、デザインも素晴らしい、安いからと新品ケトル(湯沸し器)を6個まとめて買ったそうだ。ところが各品物は3ヶ月ごとに故障して使えなくなると云う。この場合は保障期間内だから、交換はしてくれるが、同じモデルの製品である。 二十数年前までは、ほとんどが日本製品ばかりだった。丈夫で長持ち、その品質の良さはドイツ製品と共に有名だった。そのイメージが強いので、どこの国で生産しようが、新品ならば十数年は壊れないで使えるとして買ってしまう。わざわざ中古品を買う必要がないと思うのである。マーケットへ来るお客さんは新品の価格を知って探しに来る。新品でも安いからと、ただのような値段を想像して探しに来る。それで気に入った品物が見つかると、徹底的に値切ってくるのである。ときには、その仕入れ価格と同じになったりする。 2000年7月1日より、オーストラリアでGSTの制度(グッズアンドサービスタックス)(日本での消費税)が始まった。商品ごとに10%のタックスが掛かようになり、それを追加した金額で売るようにと指導された。私も申請をし、毎月タックスオフィスからステイトメント(支払い請求書)が送られてきた。私はきっちりと売り上げを申告、その計算をして、収めていた。 当局は当初年間の総売上が50000ドル以上の商いのある店などとは言わなかったし、そんな条件のある事は誰からも聞かなかった。それが後日分かったが、すでに手続きは済み、払い込みをしていた。当局へ電話をして、「私の店の売り上げでは規定額に達しないから、今すぐ払い込みを中止したい」と申し入れた。すると担当者は「もしその金額に達しなかった場合は、今まで収めた全額を返金するから、年度末が来るまで払い込んでほしい」と言われた。私は安心して、払い続けた。 セカンドハンドの品物はGSTの金額を商品に上乗せするどころか、前述のように、それよりもずっと値切られるのが普通であった。 それから一年後、時期が来たのでタックスオフィスに返金を求めたが、一旦収めたら二度と戻って来ないと言われた。ちょうど詐欺にあったみたいで、この申請はその後、当局より指定の用紙を取り寄せ、急いでキャンセルをした。
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92 追突事故の教訓 2 |
さて二日待ち、三日待ったが連絡がない。しびれを切らし、修理工場に電話した。「私も彼を待っているが、やって来ない。仕事を始めたいが、手付け金を払って貰わないと始められない」と工場長は言った。「さー、困ったぞ」彼の手中に完全に入ってしまったのである。 車は今すぐ必要である。このままだと何時使えるようになるか分からない。彼の住所は聴いていたので、今から押しかけて行くことにした。 玄関のドアーを叩き、30分後にやっと彼が出てきた。入り口を開けると、すぐ階段になっていて、上までは聞こえにくい、それに彼は寝ていたらしく、非常に不機嫌だった。普通は電話して行くのが礼儀だが、逃げられる恐れがあると思い、わざと連絡しなかった。 彼の話から、日産の四駆は彼女の車で、最近日本から持ってきたという。両親は数年前からこの国に永住し、かなり裕福らしい。しかし彼女は任意保険に加入していなかった。保険会社のポリシーでは、若いと事故が多く、保険料がめちゃくちゃ高くなっているからだ。 昨日、自分の保険会社へ電話をした。状況を説明したあと、「今からクレームを出していいか?」と聴いた。すると、「もう遅すぎる」と怒鳴られた。 若い人達の中には、毎年の車の登録料も払わず、任意保険など入っている人は非常に少ないという。こんな若者が、事故を起こした場合、相手側にどのような保障をするのか、まさか泣き寝入りをさせるつもりなのか? それじゃ全く不公平である。私はそんなことは絶対させない。なんとしても彼又は彼女、又は彼女の親からでも修理代を払ってもらわねばならない。 その日の突然の訪問で、ディポディットを出してくれ、修理工場は仕事を始めた。それを終えるのは一週間後だと言う。 その日が来た。やっぱり連絡がない。工場へ電話をした。「車は出来た、彼に連絡を取ったが、まだ支払いに来ない。貴方も彼を急かして欲しい」という。私は彼に電話したが、のらりくらりと言い逃れをし、らちがあかない。しかたなくレストランのマネージャーに話しを聞いて貰う事にした。彼女を迎えに行く途中の事故だから、全然無関係とは云えないからだ。 日本人のマネージャーで、すでに事故のことは聞いていた。話は通じたが、何とも云えない嫌な応対だった。彼らがどのように、私のことを伝えていたか知らないが、すべてこちらのせいで事故が起こったとでも聞いているようだ。詳しく説明しても身内をかばうのが常だから、私は何も云わないことにした。 もしマネージャーが、私を突っぱねられたら、大きなプラカードに英語でその理由を書き、レストラン内又はホテルの玄関で座り込みをするつもりだった。そしてポリスを呼び、私が事情聴取をされれば、真実が分かり、事故を引き起こした彼は免停となる。又レストラン側も騒がれ、非常に困ることだろう。 前に過去ブログでも述べた。私はこの国に住んではいるが、今も旅行中だと思っている。旅の恥は掻き捨て、こんなことで泣き寝入りするようでは海外に住み、商売をしている者として価値がない。変なプライドの強さと、妙な正義感が私の特徴なのである。 一週間後、「支払いが済んだので車を取りに行くように」との電話があった。どうやら残金も彼女が払ったらしい。それにしてもだらしない彼、「日本レストランで鉄板焼きのシェフをしている」とカッコよく言っていた。給料はかなり良い筈である。「年下の彼女に払わせるなんて、最低の男」「でもそんな彼氏と付き合っているのだから仕方がない」 次の日、車を取りに行った。三週間ぶりだった。近くで別の車の吹き付け塗装をしていたらしく、塗料が車体とウインドーまで飛び散り非常に汚れていた。 その足で某レストランへと向かった。彼女はマネージャーと一緒に出てきた。私は彼女にパスポートを返した。マネージャーは変な目付きで私を見ていた。こちらは何にも悪いことはしていない。当然のことをして貰っただけである。 パーキングエリアで誰かに車をあてられ、自分の保険を使って修理することはよくある。でも事故を起こした相手がはっきりし、謝罪している。彼らが任意保険に加入していなかったら、保険屋は一体どう処理をするのだろうか? 裁判で取り立てする程の金額でもないし、泣き寝入りするとも思えない。誰かに正解を聞く必要がある。もしかしたら、私の今まで取って来た行動が一番良い方法だったりして?
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91 追突事故の教訓 1 |
[追突事故の教訓] セカンドハンドのライセンスを申請する為、某銀行に保証人の一筆を貰いに行く途中、日産製の四駆に追突された。 オーストラリアでは車道が広いので、信号の手前に左に折れる道路があって、直進は信号を使うが、左折する場合は、その中で通行量の空くまで待ってメイン道路に進入して行く。 私は侵入後すぐに右折をしなければならなかった。二車線で通行量が非常に多い道路なので、しばらく待っていたその時、ドカンとやられた。 私は幸い無事だった。この車は、過去ブログに紹介した、例のM社製ステイションワゴンである。バンパーとその上がペッシャンコ、見るも無残な姿となった。四駆の方は補強のパイプ製バンパーがあったので無傷、それを運転していたのは、25,6才位の目付きの鋭い男性で車から降りて来るやいなや、「ソウリ、ソウリ」を連発した。その時、偶然パトカーが通ったが、私達を横目でみながら無視、行ってしまった。 彼はこれから彼女を向かいに行く途中で非常に急いでいた。「彼女に会った後すぐに、親友の整備工場へ一緒に行き修理をするから、車の後からついて来て欲しい」と言う。シーワールドの隣、某リゾートホテルの日本レストランで働いていて、彼女は日本人、「警察には絶対報告しないで欲しい」と頼まれた。 警察署はそこから200メートルと近かったが、彼は自分の非を認めているし、すぐ修理に出すと云うから、言う通りにすることにした。 彼に情をかけ、交通事故に出合った時の、本当にベーシックな対処法を怠ってしまったのだ。今思うと、ここでの大失敗が後々まで尾を引くことになる。 ポリスは小さな事故には関与しない、数千ドルを超えなければ、連絡しても見にも来ない。ところが、保険屋は何かとポリスの調書を必要とする。どんな小さな事故でも報告だけはするべきだったのである。過去ブログにある、私の妻が追突された時も、ポリスが来て私たちにいろいろ質問をした。 私は彼の後について某レストランまで行った。彼女は駐車場で待っていた。彼は事故の詳細を話したあと、すぐに私の車に乗り込んできた。 目的の場所へ着くまで彼は話し続けた。彼はインドネシア人だった。しょっちゅう事故を起こしているらしい。今回ポリスに報告され、もし調書を取られるとなると、免停が確実だと言う。私は嫌な予感がして来た。 修理工場へ着き見積もりと日時のブッキングをした。後部ドアーの取替え(中古品使用)と板金、修理費の合計は850ドルだったが、その時の二人の会話が、どうも変だ。彼は親友の修理工場だと言った。しかし妙によそよそしい、彼が居なくなったので、工場長に聞いてみた。「彼は二、三度来ただけで友人ではない」とはっきり言った。「エー、まあよかろう、修理費さえ出してもらえば文句はない」 彼を車に乗せて帰る途中、日本人の彼女が迎えに来た。「支払いをするという何らかの証拠が欲しい」と言ったら、彼女は自分のパスポートを出した。「こんな物預かっていいの?」と聞いたが、「しばらく使わないから」と言う、私はしかたなく預かった。 約束の日、車を持って行った。この日は追突をした彼も来て、ディポディットの300ドルを払うことになっていた。 修理工場はそれを資金にして作業を始めるのだ。 一時間待った後、彼から電話が入った。「今日は忙しいので、そこまで行けない。後日必ず行くから、車を預けて置くように」という。工場長も納得したので、私は家に帰ることにした。
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90 セカンドハンドディーラーズライセンス |
[セカンドハンド ディーラーズ ライセンス] セカンドハンドショップをするにはライセンスが要る。一年に3回以上、中古品の販売をすれば、それが自宅でのガレージセール、又はマーケット等でテーブルを借りて自分の持ち物を売ろうが、ライセンスが必要となる。 ちなみに新品及び自分で作ったクラフト商品の販売には必要ない。オーストラリア人は大らかな人種(実は面倒くさがりや)なので、いちいち検査員があちこち飛び回って調べに来るわけではないが、ジェラシーでライバルの同業者から刺される等で、彼らはしぶしぶ重い腰を上げ、忠告にやって来る。 このマーケットのクリークを越えたところに二箇所の大きなセカンドハンドショップがある。一軒は私と非常に親しくしている店、もう一軒の方だが、最近になってライセンスの取得云々との話が伝わって来た。 「エー、びっくり仰天!」私がこの店をオープンして、もうすぐ7年が来る。その店は私が来る数年前からあったので、おそらくライセンスなしで10年以上も営業していたことになる。誰からも刺されなかったのもラッキーだが、マーケットオフィスからライセンスの件で、何も言われなかったのも不思議である。 私はびくびくしながら、商売はやりたくなかったし、オフィスからも苦情を言われると嫌だから、急いでライセンスの手続きをし、取得後はオフィスまで証書を持って行き、それを見せた。 「知らぬが仏」と言うが、彼の場合ライセンスの制度があることすら知らなかったようで、最近になって、それが必要な事に気が付いたらしい。彼は私よりずっと古く、数十年前にトルコから移住して来た。以前はどんな職業だったか知らないが、まったくの無知から、そのビジネスを始めたらしい。それで申請方法が分からずに非常に悩んでいるとの事である。 このライセンス取得には試験はない。ところが手続き書類には確たる3名の保証人が必要である。それも数年以上の知り合いである事が条件で、しかも一人ずつ、書面に一筆書いて貰わねばならないのだ。私の場合、TAFEカレッジの先生、銀行の支店長、オーストラリアの友人に書いて貰った。 このライセンスは自動車の登録のように毎年更新をし、代金を払う。六年前は一年間が217ドル、毎年値上がりがあり、昨年の2005年は313ドルとなった。それに新しく申請する場合は600ドル近く支払うことになった。 セカンドハンドショップの商品には中古の電気製品が多く、日本でのPSEマーク問題のように、この業界への締め出しかも知れないが、電気器具とかオーディオ機器には必ず電気の安全確認ラベルが付けられていた。これには青色とピンク色の二種類があって、青色には特別検査員がチェックしたとのサインと日付が要る。簡単な検品と漏電テストだが、すべての電気製品に必要で、もしこれがなかったら、そのセカンドハンド店は火災保険にも入れない。しかも3ヶ月毎にその検査を更新していく必要があった。 ピンク色のラベルには検査員のサインも日付も要らない。その代わりこれにははっきりと「この製品は電気の安全テストをしていないので危険である」と書かれている。こんなラベルを貼ったら買う人はいない、青色タグで特別検査員にチェックを頼むとお金がかかり、そのコストを価格に上乗せすれば売れるはずがない。セカンドハンド商品は値切られるのが常識だからである。 ところがガラージセールはもちろんの事、公のオークション会場、当局および官庁からの商品払い下げセールでも、このラベルは付けられていない。これでは非常に不公平だと思っていた。 いつから当局が、この制度に違和感を持ち始めたか知らないが、気が付くと、何時の間にか自然消滅していた。今は規模の大きなセカンドハンドショップでも、もうこのラベルは貼られていない。 私は、当局に青とピンク、1000枚ずつを注文し、品物の見えない箇所に、ピンク色のみを貼り付け販売していた。お客さんもその制度を知らない人が多くて、理由を聞く人はごく僅かだった。もし問われたら、「当局の指示でこのようにしています。製品は絶対安全です」と答えた。 町のあちこちにOPショップと呼ばれているセカンドハンド専門の店がある。OPとはOpportunityから来たもので、機会とか好機、「その店へ行けば探している物が安く手に入るよ」との意味である。 宗教団体が母体でそれらの品物はドネイションによって賄われ、たいていボランティアーで働いている。ここでの売上金はホームレスの人とか、前にも述べたストリートキッズ援助の為に使われると聞いている。この店の品物すべてにピンク色のラベルが貼られていた。
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89 セカンドハンドショップ |
[セカンドハンドショップ] キューバのガンタナベイにあるテロリストの留置所に似た、鳥かごのような造りのストールをどのように手を加え、店らしくし、狭い場所に出来るだけたくさんの品物を並べられるようにするかである。 ティンバーショップから長さ4m、厚み35x70mmの木材を25本、厚み4mmベニヤ板10枚買った。棚板はあったので材料費の節約が出来た。若い手伝いと3週間かけて作りあげたのが、写真の店である。 売る商品は、毎週オークションとガラージセールで多量に買い込み、きれいに掃除、又は修理をし、準備を整えていた。狭いスペースなので天井近くまで、何段にも棚を作り、商品は隙間のないように、きっちりと並べた。それでかなりの品物のディスプレイが出来た。 さてオープン初日は土曜朝7時のスタートだった。前と同じパターンの人ごみで、お客さんはしょっちゅう見に来る、しかし全く売れないのだ。一体どうなっているのか、こんなはずではなかったのに? 土曜日の売り上げはゼロ、日曜もゼロになりかけ散々の週末となりそうだった。元ここのストールホルダー、今も向かいで釣具屋さんをしている彼、何を思ったか、ゴルフ道具のセットに興味を持った。 近ごろ中国製の安いゴルフ道具が出回っていて、どこの店でも売られている。以前は中古品でもかなり値が高かった。そのバッグ付きフルセットの買値は650ドル、私が最近まで使っていたもので、売値は299ドルの値札を付けていた。 このバッグには特別のエピソードがあった。十数年前、ホームクラブで朝一番のゴルフをしていた時、偶然ペインスティワートがプレイしているところに出会った。彼はイングリッシュオープンでチャンピオンになったが、他のメジャートーナメントでも常に上位で、非常に有名なゴルファーだった。 彼は飛行機で移動中、墜落事故で突然亡くなってしまった。彼が亡くなる前、私はバッグにサインを貰っていたのだ。マジックインクで書いてもらい消えないようにと透明のプラスチックでカバー、保護していた。釣具屋の彼はそれが気にいったらしい。私は49ドルディスカウントして250ドルで売った このストールを買う時、最初8500ドルの値をつけていた。彼は500ドル値引きしてくれたが、その条件としてマーケット事務所への買値の報告は、7000ドルにして欲しいと要求した。 マーケットではストールホルダーは度々入れ替わる。持ち主がその権利を売った場合、売値の10%を手数料として事務所に払うことになっていた。5年前、オーストラリアにGST(グッズ&サービスタックス)いわゆる消費税が導入されたので、その後手数料にも10%のタックスがかかるようになった。 要するに、売値が高いと、コミッションとして、事務所に支払う金額も大きくなるのだ。釣具屋の彼はこんな理由から、値段を出来るだけ少なく申告して欲しいと言うので、私も同意した。 オープン初日と次の日の売り上げ合計はゴルフセット250ドルだけとなった。最初から多くを求めるのは無理もあるが、前もって3度テスト販売を実施し、状況を知っての営業、それにしても少なすぎる、店を持った途端、最悪の売り上げからのスタートとなった。何か良い方法を考え出さねばならない。新たなる課題が出てきた。
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