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72 最後の晩餐パーティー

[レストランで宴]


 元歌手、マルコの提案で明日の夜、レストランでもう一度、打上げパーティをすることになった。 彼は、主だった教官とクラスメイツに呼び掛けをした。 一年近く机を並べて勉強した彼等とも、これでいよいよお別れとなる。 何となく寂しい気持ちがし、今までの出来事が懐かしく思い出された。


 当日レストランヘ来たのは、ジム、ロン、ダイアンの三教官、マルコは奥さんと、娘二人を連れてきた。 クラスメイツは7名で電気のクラスからは、私とジェミニーだけが参加した。 マルコの友人のレストランと言う事で酒類を持込むことが出来た。 前にも述べたが、大きなレストランには、バーの設備があり、一般にアルコール類の持込みは出来ない。 マルコの顔で無理が利いたのである。


 私は日本酒を持って行こうと思い、近所のタバーン(酒店)へ行ったら、そこにオーストラリア産の日本酒を置いていた。 日本の清酒メーカーがオーストラリア米を使って、現地で醸造していたのである。 私は今回見たのが始めてで、呼び名もこの国にピッタリの名前が付けられていた。 値段は日本製の輪入品より数ドル安く、私は720ミリリットルを一本買い、家にあった、チョウシと、お猪口を持って出掛けた。


 マルコは、有名ブランドのウイスキ−とワイン、リキュール等を紙袋に入れて持って来た。 日本酒はレストランに頼んで熱カンにして貰った。 クラスメイツ達は、初めて日本酒の熱いのを口にしたようで、どうも馴染めないらしい。 妙な顔をして、ほとんど飲まなかった。 ジムもロンもアルコールは強い。 二人でまたたく間に日本酒を空にし、続いてワイン、ウイスキ−へと移っていった。 でも酔った様子は全くなかった。 ダイアンは、ほとんど飲まない。 例のカナキリ声でマルコの奥さんと忙しく喋っていた。


 


[この町で最適のビジネス?]


 マルコはタクシーのビジネスをするそうだ。 当時、この町を走っていたのは、一社だけで、その会社がすべての車を所有し、運営されていると思っていた。 ところが彼の話によると、車は一台ずつ、所有者が違うとの事である。 その営業許可証は州の交通局によって、車一台に付き発行され、その台数が制限されている為、ビジネスを始める場合は、売りに出されている許可証を買わねばならないそうだ。


 その価格は三十五万ドル前後で、新車を買い、特殊保険に入り、営業を始めるまで、一台に付、五十万ドルはいると言う。 この地域で、ボートジェティ付きの豪邸が買える値段である。(1997年)


 彼は「運転手を三人雇い、二十四時間フル回転すれば、一日で千ドル以上の水揚げがある。 許可証は、いつでも買値で売れるから、絶対損はない。 ここでは、どんなビジネスも良くないが、タクシーだけは別で、今、許可証を買う交渉をしている」と言った。


 私は日本レストランの業界以外は知らない。 確かに人の集まるクリスマスホリデイの期間なら忙しい。 でも普段、タクシー乗り場で何台も車を連ねて、客待ちしているのを見ると、常にフル回転が出来るとは思われない。 計算通りにいかないのが世の常である。 ここで経験のない新ビジネスをするのは非常に危険である。


 日本人で、この町でビジネスを始め、それが旨くいかず、次々と商売を変え、数億円なくした人がいる。 店内改装費や商品仕入れに大金を投じた後は、家賃、人件費、維持費等で利益よりも経費が掛かるしくみとなっている。 ビジネスを起こし、そのオーナーである満足感と同時に資産を使い果たしていく、そんな姿がかさなって見える。


 一番良いビジネスがある。 それは確実に利益となる方法、銀行預金である。 ここでは銀行に預金し利子を得て生活することは、年老いた者のすることとは考えない。 立派にビジネスであり投資と見なされている。 したがって銀行へ行っても愛想は良くない。 仕事をしてやっているとの態度である。 その代わり大金を引き出す場合には、とやかく理由を聞いたりして出し渋りはしない。 銀行預金による投資はレントや人件費、それに経営の気苦労も要らず最高のビジネスであると思っているのは、私一人だけではない。 但し、たまに銀行も倒産する。 この場合、何の補償もない。 それに毎日、何もせず、ぶらぶら遊んで暮らせる性格の持ち主でなければ、とてもやってはいけない。


 マルコは以前、レストランのパートナーとして投資、大損をしたことがあった。 だから、この町の事情を良く知っているはずである。 近々、カーステレオの専門店を出すので電子科コースを受講したのだった。


 お別れパーティの費用は、友人のレストランということで、クラスメイツには特別割引され、教官達の分は、彼がすべて負担した。 世話になった御礼のようだった。


 マークは電子関係の仕事を諦め、元のヘアードレッサーの仕事に戻ることになった。 電子科で学んだことは趣味として続けるそうだ。 私の家まで部品や工具類を借りに度々やって来て、仲の良い友人として、今も付き合っている。


テーマ:オーストラリア - ジャンル:海外情報

71 バーベキューパーティー

[バーベキューパーティ]


 旧電気科、電子科のクラスで、お別れランチョンパーティ(昼食)が開催された。 次週から、彼等は職場体験授業が始まり、クラスメイツ全員が顔を揃えるのは、これが最後となる。これは、学校の主催で無料だった。 木曜日のランチタイムに校庭のバーベキュー広場に、このコースに携わった全教官と事務職員、残った生徒十人が集まった。 飲物はコーラとジュースのソフトドリンクのみ、肉とソーセージをバーベキュー台で焼き、それに野菜を添えて、パンに挟んで食べる。 質素な食物の、お別れパーティであった。


 管財係りのボブが、一生懸命に肉を焼いてくれた。 彼は、五十才過ぎ、何時も倉庫室の受付けにいて工具とか計器、部品や材料の貸出しと管理をやっている。 言葉少なく、ニコリともしない気難しい顔をしているが、親切なので教官達からは、気軽に名前を呼ばれ慕われている。 彼はバーベキューの材料調達から準備、それにクッキングまで一人でやった。 パーティは技術系の各コースが終るたびにあるから、その回数もかなり多い。 なんとなく申し訳ない気持ちがした。


 オーストラリア人はバーベキューパーティが好きである。 気の合った仲間やファミリーを呼んで週末には、必ずどこかでやっている。 彼等は、そのお返しにパーティをして、新しい友人を呼ぶから、その輪がどんどん広がっていくのである。


 肉やソーセージを鉄板で焼くと脂が燃えて煙がもくもくと出る。 匂いも立ち込め、台所にどんな立派な換気装置があっても役に立たない。 各家には広い庭があり、これに勝る換気装置はない。 台所で敬遠された焼肉を思い切り出来るのである。


 この地域は、比較的雨が少なく、降ってもすぐにやむ男性的気候で空気も済み、木々に囲まれた庭での食事は、キャンプでもするように楽しいものである。 一人ずつの椅子、テーブルは必要がないので、人数の制限もいらず、それぞれ芝生や庭の台に座ったりして、適当に相手を見付けおしゃべりをする。 そして、それが延々と続くのである。


 バーベキューの設備は家だけでなく、公園をはじめ、ビーチ添い、川添いや湖畔、人里離れた山の頂上とか、たいてい景色の良い場所に作られている。


 電気式の大きなバーベキュー台の設備がいくつもあって、コインを入れて使用が出来、また無料の場所もある。 近くにパゴダ(小舎)があって、テーブルと椅子が置かれ、水道設備とゴミ収納容器も付いている。 便所は勿論、海岸ならばシャワー設備も付いている。 すべて市が監理しているが、使用の許可を取る必要はなく、空いていれば、すぐ使用できる。 何時でも勝手に使えるが、後の掃除は当人のマナー次第となる。 市の職員も手入れをして、いつも清潔である。 クリスマス以外は土曜、日曜でも大抵その場所が空いている。 肉と野菜を持参し家族揃って、そこでクッキングをして食べると、少々材料が粗末でも、美味しいものである。 おこぼれ目的に野生の鳥もやって来て、その鑑賞をするのも面白い。 鳥達も首を長くして、私達の来るのを待ち望んでいるようだ。


 


[オーストラリア人の味覚感]


 学校でのお別れランチョンパーティに、私はレストランで使っていた、焼き肉用のタレを持って行った。 冷凍していたのを火入れ、再生したのである。


 オーストラリア人はバーベキュー台で肉や魚を焼いても、塩とコショーで食べるのが一般的である。 日本では肉は高価だから少ない材料で、出来るだけ、美味しく食べようと、いろいろな調理方法が考え出され、味付けも工夫された。 肉とタレを鉄板で、いためた時の合成された匂いは、食欲をそそらせ、本当に素晴らしいものである。


 私がレストランをしていた頃、度々カレーの仕込みをした。 ダシを取るのに、牛骨と野菜を長時間煮ていると、オーストラリア人のお客さんが入って来た。 そして口々に、「良い匂いがする」と言うのだった。 ソース類を入れ味付けをした後ならば、分らないでもないが、水煮の状能では牛そのものの匂いがして、私には、決して良い匂いとは思えない。 やはり体質的にも、食生活文化の違いを感じずにはいられなかった。


 ランチョンパーティでは分厚い肉が焼き上がる直前に持参のタレを振り掛け、少し焦げ目を付けさせた。 良い匂いが辺り一面に立ち込め、人が集まってきた。 食べさせると、全員がうまいと言って喜んだ。 ところが、鉄板にタレが掛かると、次に使用出来ない。 焦げ付いた鉄板を、一々金ヘラで掃除しないと、続いて焼けないのである。 レストランでは、中華鍋を使っていたから、水洗いが出来た。 重い大きな鉄板ではそれが出来ない。 管財係りのボフが黙々とヘラで掃除している姿を見て、それを止め、皿に盛った後に振り掛けることにした。


 オーストラリアンは面倒なことは嫌いだ、どれだけ美味しくても、手間が掛かっては敬遠する。 日本の焼き肉ソースは、ここでも売られ、使っている人もいたが、やはり食べる前に振り掛けていた。 ないよりはまし、でもこれでは風味が出ない。 そんなタレを開発すれば、この国でもっと売れること間違いない。


 残ったタレは、その使い方を説明して、ダイアン教官にプレゼントした。 彼女は後日、パスタにそれを振り掛けて食べたそうである。 美味しかったと大層喜んでいたが、さてどんな味になったかは疑問である。 それがなくなった後、作り方と調合の割合まで詳しく聞きに来た。 私は、もうレストラン業は、やらないことに決めていたので、「極秘ですよ」と念を押して教えてあげた。


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70 ハードスケジュール

 月曜日から金曜日、朝八時から午後四時半まで、日程はびっしり詰まった。 それが数週間続いた。 一つ問題点が出た。 電気科クラスの職場体験授業を、あと三週間取らねばならないのだ。 教官ダイアンは「電子科にも、その課目があるから、そちらで取れば良い」とは言ったが、担当教官が、その融通を付けてくれるかが疑問である。 電気の課目は一つも落としたくない。 サティフィケイトは絶対欲しい。 もし駄目ならその期間だけ電子科クラスを欠席するつもりだった。 その話をする為に、担当教官のオフィスを訪ねたら、以前の教官は転属になっていた。  新教官に面会に行くのだが、彼は何時も不在で、仕方無く伝言を残した。


 ジム教官の授業中、担当教官が、わざわざ私に会いに来た。 私が説明を始めると、横からジム教官が一緒になって援助をしてくれた。 彼は、この任務が始めてで、堅物らしい。 不服そうな顔をしていたが、ベテラン教官ジムから説得され、とうとう押切られてしまったのである。


 電子科のコースでも、これが六週間あり、最終に一括して取ることになっている。 私の場合、電気、電子の職種に関係なく、前に三週間を済ませているから、残りの半分を取るだけで両方がパスになるとのことである。 これは有難い、何の心配もなく電子科での勉強が出来る。 私は二人の教官に心から感謝し、御礼を言った。


電子科クラスの研修生は11名で、若い人達がほとんどであった。 一番年長はインド系のペリ−で二十六才、彼には子供が四人もいる。 大工さんのアプレンティスシップを済まし、いつでもライセンスを取れる。 しかし申請料が高いのと、つい最近、法律が変わり、建築した家に対する補償が一段と厳しくなった。 これでは建築業は割に合わないと、転職を決意し、このコースを受講した。 彼は又、元ミュージシャンであった。 レコードスタジオで働いたことがあると言う。 面白い経歴の持ち主だった。


 相撲取りのように大きな体格のレックス、柔和で落着いた風貌から老けて見える。 彼はペリーと同じ年齢かと思ったが、二十歳と聞いてびっくりした。 そういえば、どこかにまだ少年のあどけなさが残っている。 彼はブリスベンの総合大学を中退し、モーターボートの製造工場に勤めているが、電子部門を担当することになり、会社からの研修生としてこのコースを取っている。 彼はペリーと、何時も一緒で非常に仲が良い。


 フィリピン人のエディも二十歳である。 彼は七才の時、両親と共にオーストラリアヘ永住し、義務教育を受けた。 今は夜だけ、タイレストランで働きながら、このコ−スを受講、自動車の整備士にも興味を持っている。 彼は同じ年のルーカスと仲が良く、何時もくだらない冗談を言い、大声で笑って、ふざけ合っている。


 最初、十四名の研修生がいた。 一ヶ月以内に三人もの生徒が来なくなった。 旧コースでも同じで、教官達もそれを予知していて、脱落生がはっきり確定するまで、私に待ったをかけていた。 ハンダ付けの実習以外は機材の数に限りがあったからである。 そして、運良く必須課目の始まる直前に、私の編入が許されたのであった。


 以前、電子科クラスで、最も難しい課目と言われていた、「交流の基礎」は、前回と同じジムが教官だった。 彼の著作で一冊の本になった問題集があり、私は彼に無理にお願いをして、これを夏休み前に貰い勉強をしていた。 電気系でも、次のハイレベルクラスに、この課目があって、是非学んでおく必要があったからだ。


 三角関数やピタゴラスの定理を使い、ベクトルや位相、その合成を計算し図を描くのである。 かなり難しく、分らない質問が多数出てきて、途中でギブアップしてしまった。


 夏休みが終わり、授業が始まって、電子科クラスのダレルから、この正解を教えて貰った。 彼はすでにこの課目はパスしている。 クラスでは優秀、真面目で通っていたから、几帳面に計算式と解答を分り易い文字で、きっちりと記入していた。 それを見て、私は問題集をどんどん進むことが出来た。


 前のクラスでは七週間を掛け、この課目を終了した。 今のコースは四週間しかない。 授業は進むのが早いので、他のクラスメイツは戸惑っていた。 私は前もって問題集をやっていたのが幸いした。 テストは問題集よりも易しい、これさえやればパスは間違いなかった。 勉強の量はともかく、年増古参生の厚かましさ、要領の良さで、何事も旨く運んだ。 この課目には一章ごとに六つのテストが行われ、私はその中の四つに満点を取った。 このテストを全部パス出来たのは、他にペリーとレックスの二人だけだった。


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69 輸入製品

[輸入製品]


 十三年前、日本人に代わって、韓国、台湾、香港の観光客が急増した頃、彼等はここで売られている自国製品の多さにびっくりし、大変喜んでいた。 最近は中国製がほとんどとなったが、品質云々よりも安いからであり、この国で製作するとなれば、どこの国で製造するよりもコスト高となり、品質も落ちる。 したがって輸入した方が手取り早いのだ。


 1998年中頃、私はある日本人宅へ食事に招かれた。そこにCDGのカラオケの器械があった。 ラジカセと同じ大きさで操作が簡単、テレビに接続すると、歌詞とグラフィックが出て歌える。 当時私は数年、日本へ帰っていなかった。 それを見たのは初めてで非常に関心を持った。 大掛かりなレーダーディスクのカラオケなら知っている。 この町の日本レストランにも、その設備をしていたからである。 


カラオケと云う言葉は英語になっていて、ほとんどのオーストラリア人が知っている。 発音が少し変なので、突然言われると分らない時がある。 しかしカラオケは知っていても器械を持っている人は少なかった。


 私はカラオケのポピュラーソングを探しにレコード店へ行った。 大きなショッピングセンターにレコード店は数軒あるが、カラオケを置いているのは一軒だけだった。


 CDで二十種類程、今はもうどこのレコード店もCD以外は置かなくなったが、カラオケにはまだカセットテープがあった。 それらは英国製でCDが十六ドル、テープで十三ドルである。(1998年) その中の一つに、欲しいのが一曲あった。 でもその時は買わずに帰った。 後日、それを買おうと行ったところ、今度は売切れになっていた。 店員に聞くと在庫はないと言う。 それでは取寄せをして欲しいと頼んだら、「クリスマス前で、すでに仕入れ先がホリデイに入り、今年はもう注文は出来ない、それに記帳も締め切ったから、年が開けたらもう一度来てほしい」と言われた。 それで年明けに行くと、「カラオケに限り取寄せが出来ない」と断わられた。


 流通システムの違いなのだ。 ここでは、すべての商品にそれが言える。 先ず仕入れの量が少ないこと、一番大きな仕入れ時期はクリスマス前、それが済むと仕入れ先にも在庫がなくなる。 品物にもよるが、取寄せの利かないのが普通で、もしそれが出来たとしても、何時、手に入るのか分らない。 そこで店では在庫品は売るが、手間の掛かる取寄せまでして売りたくない。 それがここでの商売のやり方である。


 趣味専門の電子機器の店でCDGのアンプを見たことがあった。 でもそのグラフィックCDのソフトは、どこのレコード店にも置いていなかった。 ソフトがないのに装置を売るのも変だが、ではいろんなソフトを揃え、その態勢を整えたとしても、日本でのようなカラオケブームは、この国では起きない。 それは音楽文化と生活習慣が違うからで、つまりポピュラーソングの出来る土壌、それを口ずさむ環境がないのである。



[電子科のクラス]


 私は電子科クラス編入手続きの為に、オフィスヘ行った。 教官からすでに伝えられていて、顔馴染みの女性事務員は、待っていましたとばかりに、その書類を作ってくれた。


 すでに新しい電子科コ−スが始まっていた。 電気科と電子科の課目は、ほとんどが同じで、あと三課目にパスしたら電子科終了証書(サティフィケイト)が貰えるのである。


その課目は「交流の基礎」「電源装置」「ハンダ付けの実技」である。 この中で「ハンダ付け実技」はすでに受講中であった。 これは毎週金曜日にあり、電気科クラスがデイオフ(休日)なので、将来の為にと勉強していた。


 終わり間近い電気科クラスの残り課目と共に、第三十四週目からは両方掛持ちの忙しい授業の日々となった。 「交流の基礎」は、午前中で週に四日ある。 電子科クラスの午後の課目は、私はすでにパスしているから、受講する必要はない。 この時間は電気科クラスの残った課目、ロンの「品質管理」と「コンピューター実技」のクラスであった。 このコンピューターではテストがなく時間数と宿題の完成で得点となった。 品質管理で、もう一つテストされたが無事パスをした。 [職場適応性のカギ]が重なり合った。 これは教官に事情を説明し、レポー卜の提出だけで済まして貰った。 必須課目がなかったのが幸いした。


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68 電子科コース受講

 第三十二週目になった。 「クオリティコンセプト」(品質管理)の課目が加わった。これは電気科と電子科クラスの合同授業でロンが担当した。 日本の品質管理の良さを、このオーストラリアでしっかり学ぶことになった。 又、彼のコンピューター授業も継続中であった。


 電気科クラス三人の若者は相変わらず出席と欠席を繰返している。 電子科クラスは六人だが、若い一人は欠席が目立つ、やはり職場での責任感のあり方と同じ、年増連中は決していい加減な行動は取らない。


 この課自で、来週テストがあると知らされた。 これにはテキストがなく、毎回コピーが渡され、それを読みながら解説をした。 テストの為に、何か資料をと図書館へ行くと、一冊の本が出てきた。 これに問題集と解答が付いていて、そのコピーを取って持ち帰った。 たぶん出題はしないだろうと、クラスメイツにも知らせなかった。 ところが、四択式と書き込みで半分以上出たのである。 でも、このテストには、例の重々しい当局の表紙が付いてなかった。 そして答え合せもなく、得点も分らなかった。


 マークが「パワーサプライ」の再テストを申し出た。 再テストは、前と同一問題だったとの情報で、他のクラスメイツから解答も得ていたからである。


 テストは「クオリティコンセプト」の授業中で、彼は一人、私の後ろの席で受けた。しかしテスト用紙を見て、マッサオとなった。 前回とは、全く違う内容だったからである。 マークが珍しく自分から進んで、再テストを受けたいと言出したのは初めて、事態を察したロンは別のテスト問題用紙を彼に与えたのだ。 彼は本当に付いていない、かわいそうに、又、欠点を取ってしまった。


 電気科クラスの三人の若者は欠席が多すぎると、警告された。 彼等は、ジャックとメルのクラスでも注意を受けている。 「工作機械」の実習では作品を完成せずに終ってしまった。 担当教官からクレームがあったので、これも問題だ。


「将来もう一度、同じ課目を受講してパスするには、今の倍以上の努力がいる」と、ロンは彼等に忠告をした。 若さあるがゆえの行為である。 私には、そんな時間は残されていない。 職場体験授業でベンとトラブルを起こした苦い経験がある。


 


[電子科コースの受講]


 このままいくと、残りの三課目も無事終了出来そうである。 私は引続き電子科の課目も追加受講することにした。 ジム、ロン、ダイアンの三教官に、先ず話を持っていった。


 前にも述べたように、電気工事業のライセンスを取得するには、アプレンティスシップが必要で、若い人達が対象である。 私の年齢でその契約主を見付けるのは不可能に近く、遅すぎる。 電気は第一志望とし、第二志望として電子科コースのサティフィケイトも取っておこうと思った。 その方が幅広く職業が選べ、 今なら勉強の時間もたっぷりある。元もと、電気よりも電子の方に興味があった。 最初から電子コースを選考すべきだったが、昨今、電子機器業界からは安い新製品が、どんどん出て、故障しても修理をせずに買替えの時代となった。 将来は修理の仕事がなくなるのではないかと思ったのだ。


 ところが、この国では、ちょっと様子が違う、新製品の普及が遅いのである。 それは、新製品に対しての情報不足とか、経済的な理由もあって、関心は示しても、あえて購入する人は少ない。 又、他にエンジョイする娯楽もあるからだと思う。


 それに、この国で開発し製造された品物が少なく、ほとんどが輸入され、今でも古い型式の家電品が、たくさん使われ、結構それらの修理もされているのである。 電子科クラスに老若を問わず研修生が多かったのはそれが理由であった。


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67 再テスト

[再テスト]


 ダイアンのクラスでテストがあった。 配電盤の安全装置に関する問題で、その前に分厚いコピーを渡され、それを良く読んでおくようにと言われた。 私は今まで通りの択一式だろうと思い、簡単に目を通しただけだった。


 当日、その内容を見て真っ青、すべて文章を書込む問題だった。 私の一番苦手とするテストで、覚えていないから記入出きない、ついに欠点を取ってしまった。 四人のクラスメイツでジェミニ−だけがパスをした。 仲間がいて良かったが、軽く考え過ぎたのが原因だった。 近々、三人揃って再テストを受けねばならなくなった。


 同じ頃、電子科クラスでもテストがあって、そこでは全員が欠点を取ったそうだ。 彼等は口々に苦情を言って、教官の教え方にまで発展していった。


 その課目は「パワーサプライ」(電源装置)で、ロンが教官だった。 彼は歯切れの良い噛んで含めるような教え方はしない。 口の中で何かつぶやきながら、生徒がまだ理解もしていないのに前へ進んだりする。 それにテストの方法にも原因があった。 今までは一章ごとにテストをし、習ってすぐだったのが、これは、四章を一度にまとめ、範囲が広すぎた。 いずれにしても全員が不合格となったら、教え方、テストの方法等を追及されても仕方がない。 ロン教官も気にしていたそうである。


 電気科クラスで、私はダイアンに、再テスト用にとワークシート(問題集)を要求した。 彼女はすぐに準備し、数ページのコピーをくれた。 質問の内容はテストに似ていた。 最初から、これを貰っていれば欠点は取らなかった。 私は、それを丸暗記した。 年を取ると記憶力が衰えると言われる。 私は若い頃から、物覚えの良い方ではなかった。今も変わらない。 紙に何回も、何回も書いて記憶した。


 決められていた再テストの日は、他の生徒が延期の要求をしたので、次の週となった。 彼等は何かと理由を付けては引き延ばしをさせる。 聞けば、再テストは、指定日に実施された試しがないようだ。 そうする事でテストから免がれるとか、易しくなるとも思えないのだが、それが習慣のようになっていた。 私は、早く済まして貰わないと、覚えたことすべて、忘れてしまう。 やっぱり年なのかも知れない。


課目の終了まじかに、それが実施された。 テストは前と同一問題だった。 がんばって覚えたのに肩すかしを食った。 でもパスしたのだ、文句はない。


 テストの問題用紙は当局指定で二、三種あるらしい。 でも質問の間違いや誤字脱字が多く、時には同じ質問が繰替えされたりする。 教官も、そのチェックをせずに配り、生徒から指摘されて初めて気が付き、慌てて訂正をしたり、キャンセルしたりする。


 教科書にも誤字脱字が多く、一番困るのは、その中にある問題集の解答の間違いで、 それらが全く信用出来ないのである。 公式な教科書でありながら出版社は訂正もしないし、付記も入れずに販売をしている。 それが何故なのか、私には分らない。


私はある時、堅物教官ジムに尋ねた。 「間違ったテキストを訂正もしないで、何故使用するのか? 日本ならば大問題となる」 ジムも困った顔をして、「ここでも問題だが」と静かに答え、言葉を濁した。 それは、訂正が面倒だからではないかと、私は勝手に解釈をした。


 電子科クラスでも再テストが行われた。 これも全く前と同じテストで、ほとんどの生徒がパスをした。 ところが、マークだけがこれを受けなかったらしい。


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66 家庭事情

電子科クラスに、四十六才で、私の次に年長の研修生がいた。 二十数年前にフィンランドから、この国へ永住し、奥さんと、中学生の女の子が二人いて、ニックの娘と同世代であった。 元建築関係の仕事をしていたが、健康上の理由から、将来、電子機器の修理業を目指して、このコースを受講した。 奥さんはスエ−デン出身で、彼の通学期間中、子供達を連れて本国へ里帰りをしていたが、つい最近帰国したばかりであった。


 彼はゴルフが好きなので、私は数回ホームクラブに誘い一緒にプレイをした。 その打合わせの電話をすると、何時も奥さんが出て、口が重く不愛想であった。 どうも彼がゴルフに行くのを嫌がっているようなので、途中から、気兼ねして誘うのを止めた。


ある日、突然彼は、クラスメイツに海外旅行に出掛けると言出した。 このコースが終了するとすぐに東南アジアを皮きりに∃−ロッパ各国を訪問し、最後に出身国のフィンランドへ入国、しばらくそこに滞在するという計画、もちろん一人の旅である。


 私は尋ねた。「奥さんは反対しないのか?」すると、「彼女が行って来たから、次は自分の番だ」と言う。 それはそうかも知れないが、どうも様子が変だった。 彼は学校生活をしているので奥さんに遠慮があった。 奥さんも、彼の通学中は気兼ねなしに子供達を連れて里帰りをしたとばかり思っていたのである。


「そんなことをすると離婚になるよ」と言ったら、「そうなるだろう」と半ば、それを期待する言い方をした。 私も前歴があり、離婚の無価値を痛感している。 少々我慢してでも仲良く暮らす方が楽しい人生となる。 私の経験や思いを、彼に伝えたが、もう遅すぎたようだった。


 半年後、クラスメイツから、彼が言ったように、旅行に出掛けたことを聞いた。 奥さんは、ボーイフレンドが出来、子供を残して家を出た。 そして、彼は友人女性に子供の世話を頼んで旅立ったそうだ。 なんとなく納得のいかない変な話である。 これも時代の流れだろうか?


 ある時、その彼とひょっこり出会った。 二年ぶりだった。 彼は以前、巻きずしを馳走になり美味しかったと当時の思い出を語り始めた。 そう言えばあの時、巻きずしの実演をし、奥さんも招待したが来なかった。 その奥さんとは正式に離婚、その10日後にスピード結婚をしたそうだ。 これは相手女性のビザの関係でそうなったらしい。


 現在新しい奥さんは、前の奥さんと同じ職場で、しかも娘の一人もそこで働き、三人揃って、和気藹々と仕事をやっているそうだ。 そして時々彼もその中へ加わっていると言うから分からない、不思議な世界である。 子供は一体親達をどのように見ているのだろうか?


 


[福祉行政]


 数年前、こんなニュースが報道された。 前にも述べたキャラバンパークと言う宿泊設備が、あちこちにある。 大きな敷地内にキャラバンやプレハブの宿舎が、たくさん置かれ、安く借りられて長期滞在が出来る。 キャンピングカーで旅行する場合、特別地区に指定された国立公園内では、一切キャンプは出来ない。 そこで、キャラバンパークを探して、その空地を借りるのである。 敷地内には建物があり、シャワーや便所がたくさん並んでいて、事務所の近くには売店もある。 自分のキャラバンに外部から電気を接続、下水の処理も出来、使用料はすごく安い。 モーテルやホテルは町の中にしかないが、これはどんな辺ぴな場所にもあり、たいてい景色の良い湖畔とか川添い、海添いにある。


 又、町の中にもあって、衛生や環境も良く、テントの持参も出来、借家をするよりずっと安いので長期間ここで生活をしている人が多い。


 サーファーズパラダイスから車で南へ80キロ走るとバイロンベイという町がある。 ニューサウスウェールズ州の北部でオーストラリア大陸の最東端の岬が海に突出していて、燈台があり、非常に景色の良い所である。


その町のキャラバンパークに一人の男性が住んでいた。 そこには同じように生活をしている女性がいた。 男は、その女性と関係をもち子供を産ませた。 そこには他にも同じような女性が住んでいて、その人にも子供を産ませた。 次々と他の女性にも子供を産ませて男は毎晩、別々のキャラバンを訪れ、ハーレムのような生活をしていたのだ。


 シングルペアレンツ「母子又は父子」家庭には、政府から特別に給付金が支給され、十分生活が出来るそうである。


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65 通学再開

第六章


[通学再開]


 長かった夏休みが終わり、新学期が始まった。 二十四週目、電気のクラスは「ケーブルの敷設と安全装置」 前と同じ、ダイアンが担当した。 実習室の壁には穴だらけの分厚いベニヤ板が取り付けられている。 新品のブレーカー(ヒューズの装置)と他の部品が渡され、それらを固定し、ケーブルで配線、アース棒も取付け、漏電検査をして通電をする。 電気工事の基礎学習であった。


 クラスメイツは、トニー、マックス、ジェミニーと私の四人だけとなった。 彼等は遅刻や、早退をしながらも、出席だけはしていた。


 授業中に突然、机のノー卜類をバッグに詰込む。 私は不思議そうに見ていると、バッグを担いで教室から出て行こうとする。  ダイアンは、「どこへ行くのか?」と尋ねた。 「家へ帰る」と悪気もなく答え、彼女は何も言わずに帰らせてしまう。


 ジェミニーはその常習者だった。 いつも白板に違法な植物の絵を書いたりした。 どうも そっちの方に興味が有るらしい。 ある時、私は「それをやっても親は何も言わないのか?」と聞いた。 すると彼は、「親には関係ない」と答えた。 そうだ、彼は今、最も難しい年頃だった。 青少年問題は世界共通の課題である。


「職場適応のカギ」と言う課目は前にもあった。 今度はレベル2の方で、十二週間に渡っての授業である。 レベル1では科学とか数学、電気の基礎ばかりを習った。 今度は何を学ぶのか分らず、プログラムには、その担当教官名も書かれていなかった。 教室で他課目の自習、又図書館へ行って時間潰しをし、三週目に入ってやっと教官が決定した。


 ジャックとメルの二人が担当することになった。 ジャックは新任で、メルはずっと古くからいる。 彼は主に仕事を持った業者向けに高度な電気技術を教えていた。


 これは電気科と電子科クラスの合同授業で、電子科のクラスメイツは五人、年増連中ばかりとなっていた。 電気科クラスからの出席は私一人、あとの三人は出て来なかった。


 これは250時間もあるのにテキストがなく、テーマもなかった。 教官も困って、コンピューターの設備機器についての解説とか、モーターの分解や組立等、なんでも学習に取り入れた。 週に一回、タスクを与え、そのレポートの提出を義務づけたが、いつも図書館で調べられ、それ程、難題ではなかった。 電気科クラスの若者三人は、誰からか情報を得て、レポートの締切り日には必ずやって来て提出をしていた。


 マークは、遅刻しながらも出席はしていた。 ところがテストの日になると、風邪を引く、熱を出してはテストを受けない。 それで再テストの数がどんどん増えていった。


 彼が好きだった、バーバラは、このオフィスを辞めパースヘ行ってしまった。 身内に不幸があって、母親と一緒に住むことになったそうだ。


 


[イレズミ]


 電子科のクラスにニックと言う、四十才になる研修生がいて、奥さんと二人の女の子がいる。 落着いた物腰なので、年よりも老けて見え、今までかなり苦労をしてきたようだ。 彼は肩と背中、腕に掛けて大きなイレズミをしていた。


 この国ではイレズミはファッションの一部として日本ほど拘らない。 でも中に嫌う人もいて、「意気がっているとか、威圧の為とか、とにかく教育の低い人達がするもの」と思っている。 物静かな彼の性格を見て聞いてみた。 イレズミを入れたのは、十六才だったそうだ。 「それなら未成年で違法ではないのか?」「そうだったかも知れない」と、何の拘りもせず答える。 随分日本の社会観念とは違う、拘っているのは、私だけかも知れない。


 私がこの国へ永住した頃、シドニ−市内とか近郊の町でイレズミ師のカンバンを度々見掛けた。 オーストラリア人の友人は、車を運転しながら、「あれは日本人がやっている」と教えてくれた。 でも何故、彼がそれを知っているのか分らなかった。


 日本人のイレズミ師が入れた場合、彫りが深いので、なかなか消えないそうだ。 そういえば、酒場で腕にイレズミをした、いかつい人達を良く見掛ける。イレズミがボケ、アザのようになっていた。 そうなると、ファッションや威圧でなく、滑稽である。


 ニックに「なぜそのイレズミをしたのか?」との質問だけは出来なかった。 彼はファッションからでなく、なにかもっと深い事情がありそうだったからである。


 以前、メルボルンで電子機器関係の会社に勤めていたが、この町へ移り仕事を転々と変え、今は週末だけガーデン用品の店で働いている。 将来、電子機器関係の自営をしようと、このコースを受講したが、複雑な規制のあることを知って興味が薄れてきたそうだ。 将来ガーデン用品店が拡張になり、その店でずっと働くつもりだという。


奥さんは小学校の先生になる為、現在総合大学へ通学している。 彼女は子供から手が離れ、新しい職場への準備中であった。 オーストラリアでは、年齢に拘わらず、このようなことが簡単に出来る環境となっている。


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64 成人式

その一年後、彼女に乳ガンが発見された。  彼女は休職して手術を受けることになった。 そのあと、放射線治療とか、抗癌剤療法が半年問に渡って続けられた。 ふさふさしたブロンドの髪はすっかり抜け、皮膚も変色し、美人だった顔立ちが、すっかり別人のようになってしまった。 一年後には、すっかり回復したが、手術の影響で片方の腕が上がらなくなり、仕事に戻れなくなってしまった。


 この国では心臓病とかガンのような、不治の病気になった場合、保険に入っていなくても、民間の基金団体があって、申請すると治療費がすべて無料になり、また国からも生活費がでる。 アレンは、何時ものように彼女の世話をし、時は過ぎていった。


 


 [成人式]


 やがて彼女の娘に二十一才の誕生日がやって来た。 この国では、子供が二十一才になると大きなパーティをする。 日本の成人式に相当し、特に女の子の方が盛大である。 彼女の娘が、そのお祝いをすることになった。 その費用は通常親が出すのだが、彼女が半分出し、その半分は元夫君が出す。 元夫君にはガールフレンドがいて、連れて来るらしい。 私も招待され、アレンは、彼女の元夫君に会えるのを楽しみにしていた。 日本人の私には、どうも理解出来ない事態で、彼等が一体どんな接し方をするのか、興味津々であった。


 娘の勤めている会社のすぐ近くに、クリケット場があり、そのレストランを借りきっていた。 午後六時のスター卜、私は少し遅くなった。 戸外にはすでに、百人以上は来ている。 室内から、生バンド演奏が聞こえ、庭では牛と豚の丸焼きをしていた。 レストランの中に入ると大混雑、入口を過ぎた所にバーカウンターがあり、その中にアレンがいた。 私を見ると外に出てきて、いろんな人達を紹介した。 彼女の身内、知人や友人、娘の友人、総人数二百人は突破していた。


 元父君の側に、ガールフレンドがいて、手をつないでいた。 元夫人には、過去の事は、すべて忘れてしまったような、古くからの友人のような接し方。 新時代が来ると、これが普通となるのであろうか? 私の考えが古すぎるのかも知れない。


 娘は新しいボーイフレンドを連れていた。 私のレストランヘはハンサムで礼儀正しく、感じの良いボーイフレンドと何時も一緒だった。 前の会社を辞め、建築会社の事務員になった途端、他の男性を連れて来るようになり、いつも顔ぶれが違っていた。


 ある日突然、元のボーイフレンドを連れてやってきた。 私は「よりを戻したかな」と嬉しくなった。 でも二人は厳しい顔をして話合い、それが最後となってしまった。


 このパーティに元ボーイフレンドも来ていた。 前に見た時とガラリと変わって、頭は五分刈りにし、目は険しくなっていた。 まだガールフレンドがいないらしく、隅の方で暗い顔をして座っていた。 私は目で会釈をして、彼の前を通り過ぎた。


 私はずっと前、アレンと彼女に聞いたことがあった。 「貴方達は、どうして一緒にならないのか?」 すると、「お互い少しだが財産があり、子供達もいるからだ」と言った。 私にその意味が良く理解できなかったが、それ以上は追及しなかった。


 そのパーティが済んで一年も経たない頃、アレンと彼女の仲がおかしくなってきた。 彼女の娘が妊娠してユニットに戻って来た。 又、息子も、そこから通勤を始め、アレンが行っても居場所がなくなってしまったのだ。 そして、とうとう彼の方から離れてしまったのである。 彼女もアレンよりも、子供達を選んだと見える。 血の繋がりは、新時代がやって来ても不変で、強力なきずなだった。


 アレンは付いていない。 将来有望視され、信頼し切っていた友人の会社が倒産してしまった。 利子はもちろん、出資金まで戻らなくなってしまったのだ。 彼は大ショックを受けていた。 私には、彼にどのような手助けをして良いのか分からなかった。


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63 親友アレン

この射撃クラブでは飲酒して撃つのが禁止されている。 ところがバーやレストランは何時でも開いていて、誰が行っても売ってくれる。 ランチタイムは食事をしながら、みなアルコール類を飲んでいた。 その後、すぐに射撃を始めるから、守られていないのが明らかである。 中には麻薬常習者や精神異常者もいるだろう。 ターゲット紙の取替え中も、銃の側を離れない人もいる。 監視人がいても目の届く限界があり、狙い撃ちされないとは限らない。 それに耳栓が必要な程、大きな音と衝撃だ、もし暴発したら、これも命に拘る。 ここは度々来る場所でないと思った。


 前述の、タスマニアでの銃乱射事件以来、新ガンコントロール(銃規制)法が出来、免許がいるようになった。 ボルトアクション(手動の単発)以外、自動式、半自動式は所持出来なくなった。 この時、オーストラリア中の射撃クラブから大反対があった。


政府は民間の所持している違法な銃を買取ることになった。 私も二十二口径のセミオートマチック(半自動)を持っていた。 これもアレンから買った中古品だったが、買値よりもずっと高く引取ってくれた。 後日、集められた銃の山をテレビで観た。 すべて鉄屑となるのだった。


 


 [親友アレン]


 第30話、買い手が逃げたの中でアレンには大変世話になった。


1990年頃、アレンの室内射撃場には、七、八人の従業員がいた。 その中に日本人もいて、彼はミニバスを運転し、ホテルを周って日本人専門に送迎をしていた。 アレンの娘と娘婿、それに別居中の奥さんも、ここで働いていた。


 アレンはこのビジネスを売りに出していて、買い手が現われた。 ところがここの家主が渋って同意書にサインをしないのだ。 テナントがビジネスを売る場合、特別な理由がない限り、家主は拒否出来ない。 そこでアレンは裁判所へ持込んだ。 家主は家賃値上げの時期でもないのに売却時に要求をしていたのだった。


 家主のオフィスは、私のレストランと並びの建物だったが、どんな人物かは知らない。 何時も、最高級車が駐車されていたそうだ。 数ヶ月して、アレンが勝訴した。 その数年後、その家主は別に事件を起こし裁判となった。 そしてアランが呼出され、はるばるメルボルンまで出掛けて行った。 それは評判の悪さを証言する為だったのである。


 アランは良い時期にビジネスを売却した。 そこを買ったのは、カナダ人だったが、その後、競争相手が出来たり、観光客が減少したり、銃規制法が出来て、そこが大打撃を受ける事となる。 新オーナーになっても娘夫婦や従業員はそのまま働き続け、そこの情報が伝わってきた。 アレンは売却金の半分を奥さんに渡し離婚してしまった。


 彼の友人がアデレイドに会社を持っていた。 電子装置の付いた最新式テニスコートのビルダーである。 アレンは、アデレイドで生れ育ち建築資材のビジネスをやっていた。その当時からの古い仲間で親友でもあった。 アレンはこの会社にお金のほとんどを投資した。 そしてその十数パーセントの利子を貰って、悠々自適、リタイヤ生活を始めたのである。


[ガールフレンド]


 アレンは、私よりも二つ年上で体格が良く、ハンサムである。 昔、スパイ大作戦と言うテレビ映画があったが、どことなく、その主演男優の、ピーターグレイブスに似ている。


 彼がある有名デパートで買物をしていたとき、売場にいた女性に目が止まった。 三十八才のなかなかの美人である。 お茶に誘って話をすると、離婚して間もないとのこと、それ以来二人の付合いが始まった。 彼女には二十一才の息子と十九才の娘がいた。


 アレンは彼女を連れ、私のレストランヘ週に一度は食事に来た。 アレンは、毎日たっぷり時間があったから、彼女を職場まで送り迎えしていた。 彼女の子供達は独立していたので、休日には彼女のユニットヘ入りびたりで楽しい日々を過ごしていた。


 彼女の娘も何時の頃からか、ボーイフレンドを連れて、私のレストランのお客さんとなっていた。


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62 射撃クラブ

 すべて捨て終わって車に乗込もうとした時、古い電気製品ばかり置いている一角が目に入った。 冷蔵庫に洗濯機、テレビにラジオ、家電製品なら、なんでもある。 ほとんど修理不能と思われるが使えそうな品物もあった。 私はその中にビンテージな大型スピーカーを見付けた。 たぶん売ってくれるだろうと思い係員を呼んで聞いてみた。 「これはいくらか?」 すると彼は何かぶつぶつとつぶやきながら逃げるようにしてその場を立ち去った。 「アレ!悪いこと言ったのかな?」  後でよく考えてみた。 彼はTシャツに短パン、カジュアルを通り越した服装をしているが立派に市の職員だったのである。


 時々、テレビのニュースで国会議員が交通費を余分に使い込み、汚職事件として、大々的に報道されることがある。 わずか数千ドル、汚職には違いないが、どこかの国の議員と比べたら規模が小さい。


 ところであの家電製品のゴミの山は一体どこへ持っていくのであろうか? どちらでも良い。もうビンテージスピーカーのことは忘れてしまおう。


 


[射撃クラブ] 


 私はアレンと知合って十年以上になる。 妻との離婚問題で憂欝になっていた頃、気分転換の為に友人と一緒にライフル射撃場へ通った。 アレンは、そこのオーナーだった。二百坪以上もある二階のフロアーには射撃場とバー、レストラン、遊戯場があり、受付けの壁と陳列ケースには数々の銃が並べられ販売もしていた。 当時ピストル以外の銃には規制がなく無許可で誰でも買え、所有が出来た。 私も友人も、アレンからライフル銃を数丁買った。 その中には太平洋戦争当時の日本製九九式銃、三八式歩兵銃や騎兵銃もあった。 それらは、今でも他のメーカーから実弾が売られ射撃が可能であった。


 室内射撃場は最小の二十二口径銃しか使用出来ず、それ以上の口径になると屋外射撃場に行かねばならない。 ブリスベンの郊外、ベルモントにその場所があった。 軍用、警察用、一般用といくつにも分れ、最初、一般用の場所がなかなか分らず、車で全部回ってやっと見付け出した。 信じられない程広いエリアである。


 そこはスポーツ射撃クラブで広大な敷地に大きな建物があり、一階は受付けと事務所、二階にバーとレストラン、店舗があった。 歩道を挟んだ正面に屋根付の射撃台がずらりと並んでいて、遥か彼方に高く土を盛った土手が作られ、その手前に木粋が立てられ、そこにボール紙製のターゲットを貼り付けている。


 時間がきたらブザーが鳴って射撃が一時中止となる。 各々ターゲットの命中率確認とか、用紙の貼り替えをする為、レンジ内に入って行く。 この時ライフルの弾倉をオープンにする必要があり、監視員は何時も見張っていて、その確認にやって来る。


 射撃している人達の持っているライフル銃にはいろんな種類がある。 朝鮮戦争及びベトナム戦争当時の銃、軍用は性能が良く、カッコいいので誰でも持ちたくなる。 自動、半自動のスコープ付最新銃もある。 昔、アメリカでの禁酒法時代、マフィアが持っていたような機関銃を連射している人を見掛けた。 係員が彼の側にいて、しっかり監視していた。 これは係員の立会いでないと試射出来ない規則になっている。


 別の場所に金網で囲まれた建物があって、ブラックパウダー(黒煙火薬)ピストルの競技大会をしていた。 これは射撃の準備に時間がかかる。 回転式輪胴に直接火薬を入れ、釣りの錘のような丸い鉛弾を詰込む、五発装填するのに数十分を要す。 でもそれが楽しくて、楽しくて仕方がないようだ。 射撃の後、硝煙が辺りに立込、黒い幕が張ったようになる、彼等の顔も煤で真黒になった。 ところが誰も気にせず、無口で一生懸命になって、再び弾を込め始めた。


 ピストルを所持するには、クラブに入会し、一丁ずつライセンスを取らねばならない。スポーツ用の弾丸は鉛がむき出しになっていて、戦争用には薄いシンチューや銅が巻かれている。 殺傷用とて、後の手当の事まで考えられているのである。


 私は、三八式歩兵銃及び騎兵銃と同時代のスエーデン製を持って行った。 当時の日本は物資不足だったと聞く、それが銃にも現われていて、銃座は木を二つ繋ぎ合せ、金属の材質や仕上げ加工が非常に粗悪である。 それに比べ、スエ−デン製は、材質も仕上げも素晴らしい。 射撃すると命中率が抜群に良かった。 三八式歩兵銃を射ってみた。 的に当たってはいる、でも穴の空き方が変だ、そうだ弾が側面から入っている。 ということはライフルが摩耗し、弾がうまく回転していないのである。 騎兵銃を試してみた。 こちらは摩耗がない、でも銃身が短いせいか、一発も命中しなかった。 こんな銃で戦争をしたのでは、勝ち目はない。 銃を構えると目の近くに菊の紋が刻まれていた。 当時、死を目前にした兵士達、この紋様をどのような思いで見詰めていたであろうか? 


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61 国民性

[国民性]


 この国の人はミエを張らない。 人を気にせず、自分の収入に合った生活を営んでいる。勤め先の状況が不安定で、転職したり、又無職になったりする場合が多いからである。


学校とか国立病院の先生、政府機関の職員でも、予算の削減で時間数のカットとか人員整理が簡単に行われ、時給の高い人程、その対象となり易い。 今は待遇が良くても、それがずっと続く補償はないのだ。 昨日までは裕福、今日からは切詰めた生活となってしまうことがある。 この国は組合が強いのに、何故そうなるのか分らない。


 スーパーマーケットの食品コーナーには一流メーカーの高い製品と自店製の半額以下の品物が並べられていて、それらばかりを買っても気にならない。 家の郵便受けには、毎週無料の新聞とか、ビラが入っていて、超安値の広告を出している。 期限が過ぎると、元の値段に戻るので、それを買い求めて走るのが、ここでの一般的な生活である。


 人の事は気にしないし、干渉もしないが、もしも自分達が迷惑になるようなことが起きると、たとえ親しい友人でも、仲の良い隣近所でも、態度をがらりと変えて、遠虜せずに苦情を言う、日本の社会では言い難い事柄でも、ずけずけと言うのである。


 特に自分の家の近辺での環境問題に多い。 例えば、前に述べた、私の犬が吠えて喧しいとか、庭の木の枝がはみ出してきたとか、隣接する木の根っ子が塀を壊したとかである。


 ある人が、商売上の古い機械や部品類を沢山庭に置いていたら、近所から苦情がきて、当局からは罰金を請求された。 庭の芝生を刈らずに放っていたら、頼みもしないのに芝刈り屋が来て刈っていった。 後日、市役所から請求書が送られてきた。


 またプールのある家では、薬品を入れ、一日に数時間自動的にポンプを作動、水の浄化をさせている。 そのモーターが故障して放置、水藻が現われ青くなりだした。 それが当局に見付かり不衛生として500ドルの罰金を払わされた。


 私の左隣の家、前庭に大きな木があった。 風が吹くと葉っぱが周辺の庭先とか道に散乱していた。 近所の代表者が各家を訪れ署名を頼みにきて、とうとう、その大木を切り倒してしまった。 自然保護で自分の庭の木でも勝手に切ることは出来ないが、著名嘆願すれば市当局も仕方なく許可を出した。 実に強大な住民パワーだが、自宅の庭や周辺さえ、きれいにしていれば、何一つ問題は起きないのである。


 私の庭にも木が数本あり、毎年一回枝落としをする。 木が大きくなると枯れ葉がトユを塞ぐ、根がはってコンクリート路とか家のブリック壁や塀を壊してしまう。 それで余り大きくならないようにしている。 でもすでに手遅れになっているのが何本かある。 毎回、高さが8メートル近くある木の上によじ登って枝を切り落とす。


 この地域は年中暖かく適当な雨量もあるので木の成長は驚く程早い。 一年で小型トレーラーに六杯もでる。  その枝葉を積込んでいると、二軒隣の住人夫妻が通りかかった。ここの家には犬が三匹もいて朝夕いつも夫婦揃って散歩させている。 挨拶をかわした後、御主人が言った。 「どんな種類の木でもトラブルが付きもの、うちの庭には一切木を植えないことにしている。 トラブルを引き起こすのは女性と同じだ」 側に奥さんがいるのに一言多いのでは? と思った瞬間、彼女の肘鉄が彼を襲っていた。


ゴミの収集は週に一回火曜の朝でタンクローリーのような大型車がやってくる。 各家に市から大人が二人入れる程の特製プラスチックギャベッジビン(ゴミ箱)が支給されていて、これを道路際まで出して置くと、車が近付き装置されたロボットの腕が伸びてきて持ち上げ圧縮荷台へとほりこみ、元の場所へ戻しながら回収されていく。 以前は助手がいた。 今は経費の節減か運転手一人でバックミラーを見ながらこの操作をしている。 このビンに枝葉を詰め込んでもよいが多すぎると、直接ゴミ捨て場へ持って行く。


 近くのゴルフ場の側にそれがある。 この地域では焼却せず埋立て用となる。 十数年前この辺りは低地で湿地帯だった。 ゴミの上に土を盛りブルトーダーでならして公園とスポーツコンプレックス(総合施設)が出来ている。 今はもう埋め立ては完了、その名残でゴミ捨て場の中継所が出来ている。 小高い丘が作られ車でのぼって行くと鉄製の大きなトラックの荷台が三基置かれていて、その中へ投げ入れ満杯になると特殊な車がやってきて、どこかへ持ち去っていく。 生ゴミが少ないためか清潔なゴミ捨て場である。 係員がいて、ゴミの種類のチェックと指示を出していた。 木の枝葉は場所が別でそこにも係員がいて機械で紛々にしトラックの荷台へと自動的に詰込まれていく。 リサイクルとして何かに再利用されるのである。 ここはリゾート地、美観維持からかハウスホールダー(家の住人)にはゴミ捨て代は無料である。 建築業とかガーデン業者ならば、小型トレーラー一回に付き、七ドル徴収されている。 私の場合、何時も量が多いのに何の質問もしない。 きっと顔付きや風体が業者とは見えないからであろう。


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60 必要経費

立てカンバンを出した地点の道路で交通事故があった。 そう言えば、昼間「ドカン」と大きな音がした。 私は忙しくて見に行けなかったが、近所の人は、「人命は大丈夫、でもかなりの大事故で、ポリスが来て交通整理をし、無理に迂回させられ、この道へ入れなかった車もいて、事故さえなければもっと人が来ていただろう」と教えてくれた。


 もしかして、カンバンを見ながら、よそみ運転をして事故を起こしたとも考えられる。あとで、ポリスから厳重注意があるかも知れないと思った。


 トレイディングポストという新聞がある。 主に個人を対象に中古品の売買を案内している。 毎週一回、木曜日に発行され、百ページの紙面に、小さな字でびっしり載せられている。 品物の種類は豊富で幼児のもちゃから軽飛行機まである。 広告代は五行前後で品物の売値によって決まり、たとえば、二百二十六ドルから三百ドルまでの場合は十ドルとなっている。(1996年頃) これはガラージセールよりも高く売れるし、広告の影響も非常に大きい。 でもクィーンズランド州版で広範囲となっている為、自宅の周辺とか、車での至近距離に限定される。 私は車で一時間前後なら、しばしば見に行って気に入ったオーディオ製品があると買った。


 今度、私は売る側となり、ゴルフ用具やレストランの業務用品を多数売った。 ほぼ買値の半分近い価格で売れるから、セカンドハンドショプヘ持って行くよりもずっと良かった。 引合いは電話待ちで、日数の掛かる場合もあるが、必ず売れた。 品物によっては、ガラージセールで買った品物を又売りし、その差額を儲ける人もいる。


 


[必要経費]


 私は、レストランを廃業して一年以上になるが、何のアルバイトもしていない。 近々、いろんな請求書がやってくる。 このガラージセールの売上げで、すべて支払いが出来そうである。


 自宅があると経費がかかる。 先ず市役所からのシティレイツ、これは土地の評価額に利率を掛けた金額、空間保持税、水道料金、下水料金、ゴミ収集料、それに消防署費の合計である。 水道はメーターが付いていて、年間に一定量が決められ、それ以上使うと超過料金を徴収される。 (2000年に計算方法が改正されたが、ほぼ同額) 各家は庭が広いので芝生や花壇に良く水をやる家庭では余分に料金がいる。 時々給水制限もあるので、敷地内にパイプを打ち込んで自家製の井戸を作る人もいるが、鉄分や有機質が多く含まれ、水を撒くとコンクリー卜が褐色になったりする。


 私の家は、建て面積が200へーベでプールは付いていない。 土地は690へーベでドライランド、(水際に面していない)普通の住居地区である。 1998年度のシティレイツは、1250ドル弱だった。 これが一月と七月の二回に別けて請求され、一ヶ月以内に払い込むと十パーセントの割引がある。 でも一年分を纏めて払っても、それ以上の割引はされない。


 電気代と電話代は三ケ月に一回請求書がきて前に述べた程度である。 車は年に一回、登録料の請求がきて、普通の車種で430ドル、任意保険が300ドル少々、家の火災保険が350ドル、それに自分自身の保険である。(1998年度)


 家や庭の手入れはすべて自分でするから経費はかからない。 又、私は酒もタバコもやらないし、雑費や食費にも余りお金を使わない。 あとは車の修理費とガソリン代だが、これが以外と高く付くのである。


 ガソリンの値段は、1998年12月、1リットルがレギュラー(無鉛)で60セント前後、スーパー(鉛化)はそれより5セント割高である。 環境問題で、それが必要な車種の締出しと思われる。 軽油には重税が掛けられレギュラーガソリンよりも高い時がある。 それらの価格は一週間に二、三度変わったりする。 多分仕入れ値の変動だと思うが、何故そうするのか分らない。 ひどい時には、1リットル当り、10セントの差があり、しかも一日の午前と午後の違いである。 したがって、オーストラリア人は、何時もガソリンスタンドに掲載された価格を横目で見ながら車を運転している。


1998年の初旬、ガソリンの基本料金の値上げを国の法廷が決定した。 でもクィーンズランド州だけはそれに従わなかった。 それでどの州よりも安くなっている。 不思議な国柄である。 (昨今の世界的な原油高騰で1リットル当り1ドル30セント前後)


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59 ガラージセール 

[掘出し物]


 特にアンティク類は面白い。 親が後生大切にした品物でも、若い世代になると値打ちも分らず不要品として、ガラージセールに出してしまうのである。


 友人アレンは毎週ガラージセールに行くので、私も何度か一緒に連れて貰ったことがある。 彼は絵画と古本が目的で、先日、古い本を見付けた。 三冊一組で二十ドル也、表紙は所々虫が食っていた。 中を開いて見ると、変色はしているが、異常はない。 表紙の裏に何か書いていた。 「誰かから、誰かへ贈る」その日付を見ると九十年前であった。 本の題名は、「ロ−マ帝国」とある。 彼はそれを十ドルに値切った。 売主は、「古い本だから」と渋る。 「では十五ドルでは」とアレンが言うと、暫く考え、「オーケー」と返事をした。 アレンは外に置かれている、壊れた額縁の絵も五ドルに値切って買った。


 アレンの友人に鑑定士がいる。 それを見せたら二百三十年も前の本と分った。 オーストラリアがキャプテンクックによって発見される以前に印刷されていた。 活字は現在と変わらないが、古い用語と文体で、彼には難し過ぎて読めないそうだ。 今のところ骨董価値は分らないと言う。 アレンは虫に食われた表紙の修理を依頼した。 その費用が三冊で二百五十ドル也、これで価値が一段と上がった。


 南オーストラリアのアデレイドに三十六才になる息子がいる。 彼は古本の収集をしていて、その三冊を欲しがっていると言う。 実の子だ、近い将来その修理代も掛け損となりそうである


 絵の方は額縁の修理代が六十ドルで、鑑定の結果、約六百ドルの価値があるそうだ。 彼は結構面白い掘出し物を手に入れたのだった。


 


[自宅でガラージセール]


 このガラージセールを、私の家で二度やった。 一度目は最初の店がクローズした直後で、ドーナツ店で使った不要品を並べて販売した。 二度目はレストランが取壊しになった数ヶ月後で、いらない食器や道具類、それに家の不要品を多数売った。 でも、まだ重要な品物は残していた。 学校に行き出して気持ちの整理が出来、もう食べ物商売は一切やらないと決めた。 それでこの夏休み中に三度目のガラージセールをすることにしたのである。


 その準備に一週間を掛けた。 品物の一つ一つに値を貼り付け、道路に置く立てカンバンも三つ作った。 それに新聞の案内面に大きな広告を出した。 品物がいっぱいあったので、ヒュージ(特大)ガラージセールと載せた。 その費用は四十六ドル、用意万端整った。 土曜日の一日限り、朝六時オープンであった。 前回はアレンが手伝ってくれたが、今回は一人ですることにした。


 三十分前にガラージのシャッターを開けると、もう数人待っていた。 それからは人が来る、来る、ひっきりなしにやってきた。 家の前の道路は車で一杯となった。 中にはニューモデルのBMWを乗り付けた人もいた。 安いのにまだ値切ろうとする。 特にアジア系の人はすごい、一品ずつ値切り、まとめて値切る、お金を払う時にもう一度値切る、三段構えであった。


 今回は目玉商品を作った。 レストランの冷蔵庫で八年前に千三百ドルで買った霜なしの大型である。 内と外は、良く掃除をしていたから新品のようだった。


 冷蔵庫は故障が少ないし、それほどモデルチェンジもしない。 同型の新品を買うと千六百ドルはする。 セカンドハンドショップでも千二、三百ドルはするだろう。 私は五百九十九ドルの値をつけた。


 ほとんどの人が興味を持った。 寸法を測り家へ帰る人、右開きで思案をする人、私は一切値引きをしないつもりでいたが、さすが誰一人も値切らなかった。


 やがて年配の人が買ってデポジット(手金)を置き、残金を家まで取りに帰った。 ガラージセールに来る人は、それ程お金を持っていないのが普通である。


 私は車に付ける小さなトレーラーを持っている。 これは以前ガラージセールで買った品物である。 このガラージセールが終ったら、これで冷蔵庫を彼の家まで運んでやるつもりだった。


 やがて彼が戻ってきて、残金を支払った。 そして、おつりの一ドルは要らないと言った。 値切るばかりのガラージセールでチップを貰ったのは、これが初めてだった。 でもトレーラー使用と手間賃、車のガソリン代を計算すると足が出そうだ。 もっと高く値をつけるべきだった。


 午後になると、来る人が少なくなった。 朝が早いから、どこでも二時頃にはクローズする。 まだ品物は多数残っていたが、終ることにした。 百人以上の人が来て、総売り上金は千二百ドルを突破、大成功であった。


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58 自然保護

 先日、友人宅でパーティがあり、オーストラリア人が二十人近く来た。 戸外でのバーベキューのあと、室内でコ−ヒーを飲んでいたら、何時の間にか、ブトに似た小さな虫が入り込んでいた。 日本の友人は、はたき落とし、止どめを刺そうとしたら、突然、オーストラリア人の友達が待ったを掛けた。 彼は虫を、手の平に乗せ、なでなでを始めた。 そして元気になったのを確かめ、ドアーを開けて、戸外に離してやった。 これが自然保護の姿だったのである。


 先日(1998年頃)、テレビでこんなシーンを見た。 オーストラリアで、ある大学の女性教授は、シーホース(竜のおとしご)の生能研究をしている。 世界的にも希少な生物らしいが、シドニ−湾の海底に生息しているのを発見した。 その観察の為、モーターボー卜で近くまで行き、数人アクアラングで潜っては記録をとっていた。 シーホースは雄と雌の一対で、何時もそこを離れず、両方に可愛いい首輪が付けられ、交尾から産卵までの過程をカメラで撮影されていた。 観察の為には数限りなく潜らねばならない。 その費用たるは相当な額となるだろう。


 ところで、この教授がフィリピンのある島を訪れた。 この島の海底ではシーホースが獲れ、かごの中に数十匹の日干しになった死骸が入っていた。 これは中国で薬となり良い値で売れる。 この島民の家には小さい子供がたくさんいて生活の為だった。


「世界の海底にはどれだけのシーホースが生息しているか知れないが?」と言って、その教授は嘆き悲しんでいたが、その手立てが見付からない。  私は、その姿から両国の差、ウエルシー(裕福さ)の度合いを知った。


 日本がバブル経済の華やかし頃、ある人はオーストラリアも日本と同じ輸出国として、「タンカーに満載された石炭や鉄鋼石とアタッシュケースに詰められたマイクロチップ(超LSl)と同額だ」と笑った。 最近マイクロチップの売行きが悪いと聞く。 オーストラリアでは相変わらず、かさの大きな一次品ばかりを輸出し、その相手国であるアジア諸国の不況の中で、1998年度下期は四パーセントの成長をみた。 「その煽りが来年こそやってきて不況になる」と言われているが、対岸の火事のように誰も気にしていない。 オーストラリアでは鉱物資源を始め、穀物、野菜、果物、牛肉に水産物、何でも獲れる。これらがあるから、いつも悠長にしていられるのであろう。


そんな放送があって数ヶ月後、西オーストラリアでアワビの養殖に成功、またタスマニアではシーホースも水槽内での人工ふかに成功した。 これはキロあたり1200ドル(当時)で売れるという。 両方とも、将来この国の重要な輸出品になると報道されていた。 国からの研究費用も決して無駄にはなっていないのである。



[ガラージセール]


 オーストラリア人はガラージセールが好きだ。 たいてい家のガラージ(車庫)には、車が二台分置けるスペースがあり、その中とドライブウェイ(車寄せ)を利用し、不要物品に値札を付けて並べるのである。


 日本での粗大ゴミ、壊れた品物、何でも良い。 ゴミ箱へ捨てるのを止めて売出すと必ず買い手が付く。 人の使った品物で気持ちが悪いとか、新品でないと嫌だとかは言わない。 衣類でも古い下着以外なら何でもあり洗濯もしていない。 品物は、ほこりで汚れているから、家に持ち帰ると先ず、きれいにする必要がある。


 この国の人々は、家の補修とか庭の手入れ、パーティをして大勢の人を招待する。 それで信じられない程の道具類、食器類を揃えている。 めったに使わなくても持っていて、不要になると、それらがすべて売りに出される。 又、引越しの好きな国民で、その場所で処分して、また現地で揃えるので、頻繁にガラージセールをやるのである。


 ガラージセールの品物はすべて安い。 売り主もそれらが不要品なので、いくらで売っても良い、店を出し、商売をして、その気分を味わい、楽しんでいるのである。 子供がお店ごっこをして喜んでいるのと同じである。 隣近所の人、目当ての品物を捜しに来る人、安いので衝動買いをするガラージセールファン、中にはセコンドハンドショプ(中古品店)の業者がやってきて、安いにも拘らず、もっと値切る。


 毎週土曜日と日曜日で、二日間続くこともある。 土曜の朝の新聞に地域ごとに掲載され土曜日が最も多い。 このガラージセールを見て回るのも、レクレーションの一つとして面白い。


 種類は豊富で、おもちゃ、衣服、台所用品、電気器具、家具類、工具に機械、アンティック類、自転車に単車、それに自動車まである。 新聞にどんな品物があるか書いてあり、早く行かないと売切れてしまう。 品物は壊れていないかどうかを売り主に確かめ、テストをした方が良い。 原則として返品が利かないからである。 トースターが三ドル、電気釜が五ドル、扇風機が六ドル、食器は一枚十セント、家具類も市価の十分の一以下である。


 町にも、セコンドハンドショップが数十軒あって、そこに並んでいる品物は決して安くない。 新品に近い値役を付けていて、値切っても値引きをしてくれない。 彼等が仕入れに来るのだから、いかに安いかが分る。