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服役中の人達が一年に何度かバスで行楽地までレクレーションに来ると云う話、又、殺人犯でも、クリスマスには休暇? を取らせて帰宅させる。 近所に住む被害者家族がそれを知って当局に抗議をしたが取合わなかったそうだ。 人権優先なのか、余りにも寛大すぎると思えてならない。
「マリワナは本当に有害で、その使用を将来も禁止すべきか? では、タバコの場合はどうすべきか?」等々、麻薬問題にも触れ、意見を問うた。
オーストラリアでは麻薬事件が多い。 周囲が海に囲まれ、監視の目が届かない。 ヘロインの密輸は半端な量ではなく百キロ単位で入ってくる。 1998年にも陸上げ寸前に発見された。 政府は当時、あらゆる分野で予算のカットをしていた。 密輸の監視にも予算の削減をした。 それで密輸が増え始め、これではいかんと気が付いた矢先だった。 ずっと前の事件では、警察幹部も関与していたと言うからどうしようもない。
この国の法律では密売人は罰せられるが使用者は無罪である。 彼等に治療し再起更正をさせる施設があるのかどうかは知らないが野放し状態となっている。
16才の少女がヘロインの打ち過ぎ、路上で死亡、とのテレビニュース、これによる1997年度の死亡者は7百人を突破した。 患者の年齢層も下に広がり15才前後となってきている。 彼等は同じ注射針で回し打ちをするからエイズ感染予防の為にと政府は無料で注射器を配った。 又、打つ場所を提供したある宗教の教会も出現した。 これを知った、毎日インシュリン注射の必要な糖尿病患者は、自分達にもと抗議をしたが聞き入れてくれなかった。 なにがどうなっているのか、私にもさっぱり分らない。
[あわや退学?]
欧米諸国では、自分をいかに主張して、高く売込み、良い給料とポジションを得るか、その為には物怖じせず、人前である程度話が出来ないといけない。 そのトレーニングだったのである。 この課目の終わりに一人あたり、二十分間のスピーチがあるから、その原稿を書くようにと云われた。
夫君ゲリー教官からは、今週終わりにテストをすると伝えられた。 前回のテスト同様、さほど難しい問題は出ないだろうと一切勉強しなかった。 思ったとおり、当日はテキストを見てもよいことになった。 ところが、こんなテスト程難しい。 すべて書入れ方式で質問がかなり複雑であった。 テキストのどこに書かれてあるのか見付けるのが大変で日本語ならばともかく、知らない単語が一杯で、時間がどんどん過ぎて行った。
他のクラスメイツは書き終えて教室から出ていき、とうとう私一人になってしまった。 もう時間がない、目がくらくらしパニック状態となった。 出来ていないのに提出せねばならない。 もう駄目だ欠点に違いない。
解答合せをすることになり、テスト用紙を返して貰った。 でも点数が書かれていなかった。 ゲリー教官が、私の側へやってきて、心配そうな顔で「どうしたのか?」と尋ねた。 「英語力の不足です」と私は答えた。 「このキャンパスにスチューゼントサービスセンターがあるから、そこへ行って相談するように」と彼は言った。 さあ大変なことになった。 もしかしたら英語力不足で退学になるかも知れない。
ランチタイム、その事務所へ行ってカウンセリングを受けた。 外国からのスチューゼントは、英語力のテストがあって、それに合格しないと入学出来ないことになっている。ところが私の場合、ここに長く住んでいるので、義務教育終了のオーストラリア人と同様に扱われテストもなく、手続きも非常に簡単であった。
担当員は、「この学校には英語レッスンのクラスはなく、別校のTAFEで勉強するように」と担当者を紹介し、面接日を決めた。 いよいよ面倒なことになってきた。 英語クラスヘ通学するとなれば当然ここを辞めねばならない。 「困ったな、しまった、英語力不足なんて言ったのがいけなかったのだ」確かに英語力の不足はある。 でもテストさえ良ければ、こんな事にはならなかった。 もっと勉強していれば合格点が取れたのだ。後悔してもどうにもならない。 何か良い方法を考えこの場を切抜けねばならない。 ゲリー教官にはオフィスでの面接の件を報告したが、非常に憂欝な気分だった。
そもそも私が、この学校へ入学したのは、転職の為であった。 この町で十三年間、日本レストランを営業していたが、その建物の取壊しを機に他の職業へと転向する為だった。五十才を過ぎての転職は難しいことは分っている。 しかしレストラン業は、もうやりたくなかった。 今度は自宅が使え、しかも一人で出来る仕事として、この分野を選んだのだ。 若い人と同じようにはいかないし、英語力でも無理があると最初から分っていた。 それで一番得意の学科、電気を選んだのである。 もしテストに合格しなくても、このコ−スが終るまでは通学するつもりだった。 オーストラリアに長く住んでいるのに、まだこの国の学校の内情は知らない。 どんな先生で、どんな生徒が居るのかと興味もあった。
ずっと前、中学校から入学してみようと思ったことがあった。 しかし、余りにも年齢差があり、周囲に迷惑を掛けるといけないと思ってやめた。
次の日、英語クラスの担当員に電話をしてインタビューをキャンセルした。 「チェンジマイマインド」(気が変わった)と告げたら簡単に了解され、改めてこの言葉の便利さを感じた。 さてゲリー教官には、どのように伝えるか、これが一番難題だった。
「そうだ、本当のことを言えばよい」彼には、「まもなく、私の得意な実習の課目が始まります。 英語力の不足はクラスメイツにヘルプしてもらってクリアーします。 このコースはなにが何でも最後まで勉強したいのです。 これが終了したら英語クラスを受講します」 そう言うと彼は、「オーケーノープロブレム」と言って簡単に了承してくれた。
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